不当判決への抗議声明(安保法制違憲訴訟埼玉の会)

2021年3月17日

不当判決への抗議声明

安保法制違憲訴訟埼玉の会

共同代表  倉橋綾子、斎藤紀代美、沼尾孝平、
野島久美子、門奈直樹
原告弁護団  北澤貞男、佐々木新一ほか102名

本日、さいたま地方裁判所第2民事部合議A係(岡部純子裁判長)は、安保法制違憲国家賠償請求事件について原告らの訴えを退ける不当判決を言い渡しました。原告らは、集団的自衛権行使を容認する新安保法制法は一見明白に憲法に違反し、後方支援活動やPKO活動における任務拡大なども違憲であり、この法制に係る内閣及び国会の立法行為は違法であるとして、国家賠償を求めた訴訟です。原告らの平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権の侵害については国家賠償法上の保護利益にあたらない等という理由で、原告らの訴えをすべて棄却し、しかも、新安保法制法の違憲判断を回避しました。この不当判決に断固として抗議します。

2016年6月20日第一次提訴、同年10月21日第二次提訴、2017年11月20日第三次提訴を含めて原告総数573名で闘ってきました。兵役経験者、東京空襲、熊谷空襲、広島原爆の被害者、満州からの引き揚げ者、親の戦死等により辛酸を舐めた者など悲惨な戦争体験者が多数含まれ、新安保法制は過去の辛い記億が生々しく蘇りPTSDの症状で苦しむ訴えもありました。また、体験はなくても悲惨な戦争の実相を知る原告らは、教え子を再び戦場に送るな、子や孫の世代に平和な日本を遺したい、二度と戦争の被害者も加害者も御免だ、として104名に及ぶ原告らが陳述書を提出し、不安、恐怖や苦痛などの人権侵害を訴えて違憲判断を求めました。

平和的生存権の具体的権利性を無視する司法

判決は、平和的生存権について「平和とは、理念ないし目的としての抽象的概念であり…個々の国民に対して平和的生存権という具体的権利ないし利益が保障されているものと解することはできない」として旧態依然の判示をしました。

私たち原告はこの判示に到底納得できません。2008年の名古屋高裁判決では、「平和的生存権は、全ての基本的人権の基礎にあって、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求めることができる」と判示するように、平和的生存権は具体的権利性を有し裁判上救済されるべき権利として理論的発展を遂げています。今日では、国際社会で提唱の「平和への権利」の基礎理論を構築したものとして世界に誇れるものです。2016年12月、国連総会は「平和への権利宣言」を採択し、平和が単なる理想や状態ではなく、人間の「権利」であることが確認されました。憲法に明文規定のある日本の司法が、権利でないと判示するのは恥ずかしいことです。

原告らの人格権の侵害についても、安保法制法の成立そのものをもってしても、「我が国が他国の戦争に巻き込まれ戦争の当事国になったりテロの標的とされたりするおそれが現実的に生じたことを認める証拠はない。原告らの生命・身体の安全が侵害される具体的な危険が発生したものとは認め難い」として、各立法行為と具体的危険を切り離すことで人格権の侵害を否定した判断は、裁判所の人権意識の低さを露呈して情けない限りです。

戦争に至る蓋然性、緊迫感の欠如

新安保法制により、米国政府の言いなりに兵器の爆買い、米軍との共同訓練が増し、米国にある米軍施設での訓練中に航空自衛隊員が練習機の墜落で死亡しています。2016年の南スーダンへの PKO派遣では、政府軍と反政府軍との戦闘状態下のジュバで、自衛隊宿営地の上を砲弾が飛び交い、施設の一部に着弾し、自衛隊員らは遺書を書くほどであり、「駆け付け警護」の任務を付与され自衛隊員らは、まさに戦闘に巻き込まれ一触即発の状態でした。

加えて、2017年、弾道ミサイル発射で挑発を続ける朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対抗するために極秘のうちに先制攻撃が検討・準備されていたという第二次朝鮮戦争前夜と言うべき諸事実を挙げて、日本が戦争に至る高度の蓋然性があることも最終準備書面で訴えました。このような緊迫した情勢についてもさいたま地裁判事らは注目せず、今また、「尖閣上陸阻止」で、海上保安官(これに代わって対応する海上自衛隊の自衛官)も『危害射撃』可能との政府の見解が示され、尖閣諸島海域は緊張の度を高めています。

司法の義務を放棄した判決

95%を超える憲法学者が集団的自衛権行使は違憲だと考え、歴代の内閣法制局長官も同じ判断を2013年まで維持し、「新安保法制は一見して明白に憲法違反だ」と宮﨑礼壹・元内閣法制局長官も主張しています。山口繁・元最高裁長官、そして濱田邦夫・元最高裁判事も違憲の見解を表明し、「違憲立法審査権は司法の義務であり、権利であるので本件こそ行使すべきである」と強調します。三権分立の下で、司法が立法及び行政の過ちを正さずに追随すれば、憲法の破壊に司法が手を貸すものといわざるを得ません。立憲主義、民主主義の破壊、そして権力の暴走に歯止めがかからず、主権者である原告らは愚弄され平和に生きる権利は侵害されたままです。裁判官に良心はないのでしょうか。

満腔の怒りをもって本判決に抗議し、この闘いを続けるため控訴の決意を表明します。

以上

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