安保法制違憲道東訴訟釧路地裁判決に対する声明

2021年3月26日

安保法制違憲道東訴訟原告団
安保法制違憲道東訴訟弁護団

 今月16日、釧路地方裁判所民事部(新谷祐子裁判長)は、新安保法制に対する憲法判断を避け、国家賠償請求を棄却する判決を言い渡した。

1、憲法判断回避

新安保法制は集団的自衛権の行使を容認するなど、憲法9条に一見明白に違反する法律である。
しかるに判決は「憲法適合性についての判断は、具体的事件の結論を導き出すに当たって必要な場合に行われるべきである。本件では・・・本件各行為(閣議決定と制定)によって原告らに損害賠償の対象となり得るような権利又は法的利益の侵害があったということはできず、原告らの被告に対する国賠法1条1項に基づく請求権が認められないことに帰する以上、本件各行為の憲法適合性についての判断を行うことが結論を導き出すに当たって必要な場合に当たるとはいえない。」(25ページ下から5行目から)として憲法判断から逃避した。
憲法9条が先の大戦での加害及び被害の歴史に対する深い反省から規定された他の憲法に例を見ない徹底した恒久平和主義に立った規範であり、日本の国柄を形作る根本規範であることに対する思いを感じることのできない極めて問題のある判決である。
人権保障の砦として立憲主義を実現するため、立法・行政の憲法違反の政治を正すという司法の使命、裁判官の憲法尊重擁護義務に背を向けた判決である。
これまで言い渡された7つの地裁判決と1つの高裁判決と同様に本判決も、三権分立の存在を示すべき究極の場面で、憲法判断を避けてしまった。
沈黙して立憲主義違背に背を向けることは、立憲主義違背に加担することに他ならない。裁判所自らが立憲主義違背を行ったと同じことである。
フランス人権宣言にも「権力の分立が定められていないすべての社会は憲法を持たない」と明言している。日本国憲法の根幹にかかわる規範の違反行為について、違憲立法審査権を行使しない本判決に対しては深い失望とともに極めて大きな違和感を覚える。
原告等は違憲の新安保法制の制定・施行を原因に権利・利益を侵害され精神的苦痛を被ったとして本請求を行っているのであり、新安保法制の違憲性とその程度、内容を判断することは、原告らの権利・利益の侵害の有無、程度の判断の前提となるものであり、論理的に憲法判断が先行すべきことでもある。

2、原告らの権利・利益の否定

⑴ 平和的生存権の否定

判決は平和的生存権については「目指すべき理念の一つとして表明しているとはいえるものの・・・一義的に確定することは困難であり、これ(憲法前文の文言)を根拠として個々の国民に具体的な権利又は法的利益として保障されていると解することはできない。」(14ページ下から3行目から)として「権利」はもとより「利益」すら認められないとする。しかし、憲法の根本理念を規定する憲法前文において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とし「権利」として明確に規定されているのである。平和的生存権は国連総会でも採択されるなど国際社会においても広く認められており、本判決は平和的生存権の権利性を認めた長沼ナイキ訴訟札幌地裁判決、自衛隊のイラク派遣に関する名古屋高裁判決・岡山地裁判決の流れから大きく後退するものである。
平和的生存権の法的「利益」性すら認めない本判決には憲法を尊重し擁護しようという姿勢が全く感じられない。
また本判決は、憲法9条については「・・・国家の統治機構ないし統治活動における規範を定めたものであって、個々の国民に何らかの権利を与え義務を負担させることを定めた規定ではない」とする(15ページ9行目から)。しかし、憲法9条は戦争放棄、専守防衛等により平和的生存権にいう「平和」の意味内容を充填するとともに、基本的人権である平和的生存権を保障するための言わば「防火壁」であり、その「防火壁」がまさに破壊されてしまったときに憲法判断をしないという選択肢はない。

⑵ 人格権侵害の否定

本判決は原告らが主張する人格権については、「本件各行為の後5年以上経過した当審の口頭弁論終結時において、本件各行為に起因して我が国が他国による武力攻撃やテロリズムの対象とされた事実は認められず、・・・本件各行為が原告らの生命、身体及び健康に対する現実的かつ具体的な危険性を生じさせるものとは認められない。」(p19下から9行目から)として、「現実的かつ具体的な危険性を前提とせず、個人の有する経験や思想・信条によって大きく左右される個別的、主観的な感情及びこれがもたらす精神的苦痛は、個々人が共通して有する普遍的な人格的価値に対する侵襲とはいえず・・・人格権の範疇として法的保護の対象にされるべきものとはいえない」(p20下から12行目から、p22の下から6行目から)とする。
まず、戦争が始まってからでなければ救済しないという裁判所の態度に失望を禁じ得ない。新安保法制の施行により、日本が、自衛官がアメリカの始める戦争にいずれ巻き込まれるであろうことは、半田滋証人の証言等で明らかにされた。原告らは戦争が起こってからでは遅いから提訴したのである。戦争やテロが起きた時点で違憲判決を行うのであれば、今、行わなければ意味はない。もし、戦争やテロになっても憲法判断をしないというのでは司法の完全なる自殺というほかない。
次に、原告らの精神的苦痛は憲法違反の新安保法制の制定・施行によるものであり、憲法に裏打ちされた思想・信条がもたらすものである。さらに、「普遍的な人格的価値に対する侵襲」の意味が不明であるが、もし、憲法違反の立法により精神的苦痛を感じない人もいる、よって、その苦痛は普遍的ではないので法的保護の対象とすべきではないという理論であれば、司法というものの理解を根本的に誤っていると言わざるを得ない。判決は「原告らが強い不安、怒り、憤り、危機感などを抱いたことは優に認められる」(p20の11行目から)、「生命、身体及び健康を失うことを恐れる不安にとどまらず、・・・立法及び政策判断がされたことに対する強い憤りや精神的苦痛というべきであり、事実として認定できるものであって」(p22の下から6行目)としながらその救済をしないという態度をとっているものであり、司法が政治的な少数者の基本的人権を憲法違反の行為から救済することが使命であることを忘れていると言わざるをえない。

⑶ 憲法改正権・制定権侵害の否定

判決は、憲法改正規定である「憲法96条1項は・・・実際に憲法改正の発議がない状況下で、個々の国民に憲法改正にかかわる具体的な手続を要求する権利が付与されているとはいえないし、・・・憲法改正の発議がなされなかったことが直ちに個々の国民に対する権利又は法的利益の侵害となるものではない。」(p25の2行目から)とする。
しかし、原告らが問題にしているのは、戦争放棄を規定した憲法9条で恒久平和主義、専守防衛の国是という日本の国柄、日本国憲法のアイデンティティーを他国の始める戦争に加担するという根本的な変質をもたらした重大な立憲主義違背行為を問題にしているものであり、かかる重大な違憲立法が憲法改正手続(特に国民投票の機会)を経ずになされたのであるから、憲法改正権・決定権の侵害があったと考えるのが当然である。

⑷ 権利侵害性のまとめ

判決は原告ら全員に権利も法的利益もないとする。人権保障の砦として、憲法尊重擁護義務のある裁判官、裁判所が、原告らに何らかの「法的」利益性を認める姿勢があれば、「国家賠償法上違法となりえるのは憲法上保障され又は保護されている権利利益」と判示した再婚禁止期間に関する平成27年最高裁判決の判例法理を本判決にも適用し、憲法判断に踏み込むことも可能だったものである。
憲法判断回避に終始した本判決に対し、原告団及び弁護団は怒りと失望の気持ちを表明せざるを得ない。
道東訴訟原告団及び弁護団は本判決には全面的に不服であり、3月25日に、札幌高等裁判所に控訴した。
我々は子供たちの未来のためにも、今後も裁判所に対し違憲立法審査権の行使を強く求めていく所存である。

以上の決意を表明する。

以上

Share Button