安保法制違憲訴訟訴訟全国ネットワークの寺井一弘名誉代表から、安保法制違憲訴訟全国ネットワークについて、改めてのご説明を掲載いたします。
日本語版、英語版がありますので、「続きを読む」からお読みください。
ポスターも掲載しております。
PDF版はこちらから。
日本語版 英語版
(2022年1月11日、内容を差し替えました。)
(日本語版)
「安保法制違憲訴訟全国ネットワーク」について
一、日本国は、先の第二次世界大戦の反省の上に憲法を制定し、その第九条において、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、その目的を達するための戦力を持たず、交戦権を認めないことを明確に定めました。そして、歴代の日本国政府においても、長期間にわたり、専守防衛に徹し、個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権の行使は憲法九条に反するとの解釈を堅持してきました。ところが、日本国の安倍政権が二〇一四年七月一日に集団的自衛権行使容認の閣議決定を行い、二〇一五年九月一九日の未明に強行採決によって集団的自衛権行使を可能とした新安保法制を成立させる歴史的暴挙を犯してから八年半が経過しました。憲法改正という正規の手続を経ることなく、戦争への道を切り拓く憲法九条の実質的改定が内閣による「解釈改憲」という、前例のない政治的手法によって実現されるに至ったのです。
角田禮次郎内閣法制局長官は一九八三年二月二二日に国会において「すべての内閣は集団的自衛権の行使を認めたいという考え方がありましたが、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然取らざるを得ないと思います」など、憲法九条の条文を変えない限り集団的自衛権行使は不可能であると答弁していました。それを当時の安倍内閣は解釈変更だけで可能としたのです。
私たちは、安倍政権による憲法改正への策動が集団的自衛権容認の閣議決定という形で具体化してからは、安保法制を違憲とする憲法訴訟を提起できないか、真剣に検討を始めました。しかし、違憲訴訟の提起については、法曹界、とりわけ弁護士界において、「このテーマを現在の司法の場においてたたかうのは危険ではないか」「もし安保法制が裁判所によって合憲と認定されれば安倍政権を利するだけではないか」という意見が支配的であったことも事実であります。
それは端的に言って、わが国司法が戦後果たしてきた経過に大きく由来しています。日本国憲法は司法の独立を明記し、司法権に違憲立法審査権を与え、政治部門から独立した裁判所に「憲法の番人」たる重要な役割を期待したのです。然るに裁判所は憲法九条をめぐる「平和訴訟」においては一九五九年の砂川事件最高裁判決以降、ごく一部の下級審判決を除いて一貫して時の政権の意向に従った、いわゆる「忖度判決」を続けてきました。特に二〇一五年に安保法制が強行採決されて以来のわが国司法の政治部門への「すり寄り」はきわめて顕著となっています。二〇一六年の厚木基地訴訟で自衛隊機の飛行差し止めを一部認容した東京高裁判決を覆した最高裁判決、同月に沖縄辺野古基地建設訴訟で沖縄県と住民側を敗訴させた最高裁判決はその典型であります。先輩同僚の弁護士らが安保違憲訴訟に大きな疑問を投げかけた背景にはそうした事情が大きく影響していたものと思われます。
しかし、私たちは三権の一翼を担う司法が、一見して明白な違憲状態を看過するようなことになれば、そのこと自体三権分立制度の自殺を意味するものと考えました。平和憲法そのものの破壊を座視するような司法は、とうてい民主国家における司法とは呼べないのみならず、最終的には国民の信頼をも失ってしまいます。私たちはこのように考え、心ある仲間とともに「安保法制違憲訴訟」を真正面から提起すべきであると考えるに至りました。
「過去に目を閉ざす者は現在においても盲目である」との言葉はドイツの元大統領ワイツゼッカー氏の演説文ですが、私たちはワイマール体制を崩壊させてわずか三ヶ月で平和と人間の尊厳を奪い去ったナチ・ドイツ登場と十二年間に及ぶ裁判所も加担した恐怖の時代のことを決して忘却してはなりません。
二、手作り・手弁当で始められたこの違憲訴訟の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。想像をはるかに超えた苦難の連続であったといってもよいと思います。一人ひとりの人間の自主的な立ち上がりによる手探りの仕事として始められました。
そうした状況下で、安保法制違憲訴訟は、二〇一六年四月の東京を皮切りとしてきわめて短期間のうちに、提訴順に福島、高知、長崎、大阪、岡山、埼玉、長野、神奈川、広島、福岡、京都、山口、大分、札幌、宮崎、群馬、釧路、鹿児島、沖縄、山梨、愛知の二二地方裁判所で二五件の訴訟が提起されました。原告は七六九九名、代理人弁護士は一六八五名になりました。
愛知県で違憲訴訟の原告になられたノーベル物理学賞の益川敏英京都大学名誉教授は「憲法九条を守ろう。どんな小さな声でも集まれば大きな声になる。戦争ができる国になってからでは遅い、戦争が始まってからでは遅いのです。そのために憲法九条を守らなければならない。憲法九条にノーベル平和賞が贈られる日をぜひ見てみたいものです」とのメッセージを全国に送っておられます。そして私たちは、全国の仲間による経験交流と闘いの展望を切り拓いていくため「安保法制違憲訴訟全国ネットワーク」を結成して闘いを強化していくことにしました。
三、安保法制違憲訴訟の意義について私たちは、まず、八一年前のわが国の第二次世界大戦への参戦、二〇〇〇万人を超えるとも言われるアジアの民衆の命を奪い、わが国だけでも三一〇万人以上の犠牲者を出した侵略戦争、そして広島、長崎の原爆や東京大空襲などの暗黒の戦争の時代を決して繰り返してはならないとの強い思いを司法の場で確認することにあると位置づけました。この戦争で筆舌に尽くせないほどの犠牲を強いられた方々の苦痛の叫びは現在においてもしっかり心に銘記しておく必要があります。解釈改憲を以って戦争容認への道を突き進む、不誠実で無責任な安倍政権とそれに追随する菅、岸田政権の平和憲法を破壊する政策を許さない闘いが全国各地で広がっていますが、違憲訴訟は、これらの運動としっかり連帯して、わが国の立憲主義と知性を取り戻すための狼煙の一つであると位置づけてきました。私たちはこの松明を高く掲げて前進しなければならない歴史的責務を負っていると考えています。次に、消極的司法=国の政策を唯々諾々と追認する司法のあり方を根底から問い、三権分立の一翼を担う役割を一人一人の裁判官に自覚させることであります。裁判所が自己規制を重ねつつ「司法の独立」を辛うじて維持しようとするのは制度上仕方ないとの見解があることを認識しつつも、そうした状態をいつまでも黙認していてはわが国の三権分立制度は根底から瓦解してしまいかねません。この安保法制違憲訴訟ではわが国において憲法に定める司法の独立と三権分立が機能しているのかどうかが根本的に問われていると考えました。更に、わが国を戦争ができる国にしようと暴走している日本国政府を許さない力が日本国民に蓄えられていることに確信を持ち、それを結集していく責任があるということであります。平和への大きな不安、貧困、差別、格差への怒りを結集し、多くの人々の心と力を一つにして、人間の尊厳と人権を無視し続けてきた強権政治に抗して、闘っていかなければならないと確信しています。そして、ジェンダー主流化の観点から、戦争が政治の延長にある暴力と差別の究極の形であり、格差と貧困を構造化した社会から生み出されることを事実をもって明らかにし、安保法制が平和的生存権を侵害することを訴えている女性の訴訟は、国際的にも注目されています。
四、ところで今回の安保法制違憲訴訟は弁護士が中心となって動き出しましたが、これを待ち望んで原告に加わった方々は、私たち弁護士が当初思いも及ばないような被害をこの安保法制によって蒙っていることを違憲訴訟の法廷で口々に示されました。空襲被害や原爆被害によって直接戦争被害を受けた方はもとよりご家族を失った方々は、惨状を脳裏に焼きつけたまま戦後を生きてこられました。安保法制による再度の戦争の危険は、自らの恐怖を再燃させるばかりでなく、平和を願いながら亡くなった方との約束を果たせなくなるという無念さに繋がり、その身をさいなまれています。また、海外で憲法九条が果たしてきた平和の旗印がどれほどの力を持っていたかも学ばされました。全船を攻撃するといわれたイランイラク戦争の際には、日の丸を高く掲げることによりペルシャ湾を航行した日本船舶は攻撃を免れることができたのであります。自衛官を経験された方々やご家族の切実な訴えも深刻なものがあり、戦後日本の平和主義というものが沖縄の人々の犠牲の上にあった事実も改めて痛感させられました。それらを通して、私たちは失うものの大きさを知らなさ過ぎると改めて気づかされたのです。人間の尊厳と平和に関わる重要な問題を、訴訟に携わる一部の者だけのものにしてはならない、広く深く、多くの国民・市民の皆様と共有して、これからの日本という国のあり方を一緒に考えていく必要があると私たちは考えています。
全国の二五の裁判では合計三〇〇名を超える原告が意見陳述を行い、一五〇名に及ぶ原告の方々が本人尋問に応じてきました。原爆や東京大空襲の被災者、基地周辺の住民、障がいを持つ市民、原子力技術者、元自衛官、航空機長、鉄道員、ジャーナリスト、憲法学者や教育学者からの生々しい告発は戦争の恐るべき恐怖と再びその悲惨な政策の準備が着々と進められていることへの恐怖を如実に証明するものでした。「一瞬にして十五万人もの死傷者を出した長崎原爆の恐怖を、私は今でも忘れることはできません。私たちを苦しめ続けた戦争と核兵器の被害は、長崎を最後にしてほしいと思います」。これは七八年前に長崎で被爆した牟田満子さんが安保法制違憲訴訟の東京地方裁判所の法廷で陳述された言葉です。
そして、長崎原爆被災者協議会の会長で長崎違憲訴訟の原告団長もつとめられて二〇一七年八月三〇日に逝去された谷口稜曄さんは、二〇一五年八月九日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典において次のように訴えられました。谷口さんは一六歳で被爆し、「赤い背中の少年」と呼ばれ、全身を晒して原爆の非人間性を最後まで訴え続けられた方でした。
「戦後、日本は再び戦争はしない、武器は持たないと世界に公約した『憲法』が制定されました。しかし、いま集団的自衛権の行使容認を押し付け、憲法改正を推し進め、戦争中の時代に逆戻りしようとしています。政府が進めようとしている戦争につながる安保法制は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた戦争反対と核兵器廃絶の思いと運動を根底から覆そうとするもので、絶対許すことはできません」
二〇一九年一一月二四日に長崎、広島の被爆地を訪問されたフランシスコ教皇はヨハネ・パウロ二世の「戦争は人間のしわざ、人間の命の破壊、死です」とのメッセージを引用した平和アピールを発されました。私たちは、戦争こそ何千万人を殺戮し、暴力や差別、言論弾圧を必然的かつ大量に生み出す最大の人権侵害であること、そして、日本国民が戦後七〇年以上にわたって憲法九条のもとで戦争への道を食い止め続けてきたこと、この事実を決して忘れてはならないと考えています。そして、こうした思いをしっかりと胸に秘めて平和憲法を死守するため安保法制違憲訴訟を現在も闘い続けています。
(English version)
About the Nationwide Network for Lawsuits on the Unconstitutionality of the New Security Laws
1. On 1 July 2014, the government of Japan under the administration of Prime Minister Shinzo Abe passed a Cabinet Decision to allow the exercise of the right to collective self-defense. In the early hours of 19 September 2015, the new security laws were railroaded through the Diet in an act of historical violence. Eight years have passed since, in an unprecedented political maneuver, the Cabinet Office revised the “interpretation” of the Constitution, essentially revising Article 9 of the Constitution and opening a path to war. This was done with no formal measures to officially revise the Constitution.
At a Diet session on 22 February 1983, then-Director-General of the Cabinet Legislation Bureau Reijiro Tsunoda stated that “all [of Japan’s] administrations to date have wanted to allow Japan the right to collective self-defense; however, if they wish to make clear that Japan has such right, I believe there is no choice but to revise the Constitution.” With this and other statements, his response suggested that it would be impossible for Japan to exercise the right to collective self-defense without revising Article 9 of the Constitution.
When the Abe administration’s scheme to revise the Constitution materialized through the Cabinet Decision on allowing the right to collective self-defense, we started to seriously consider whether it would be possible to file lawsuits asserting the unconstitutionality of the new security legislation. However, we were faced with the reality that Japan’s legal world was dominated by the view that launching a legal fight on the topic of said unconstitutionality in Japan’s current court system could be dangerous, or that a court ruling in favor of the government, judging the security legislation to be constitutional, would end up serving to further embolden the Abe administration. Indeed, many lawyers harbored these concerns.
Such concerns were largely justified in light of the history of Japan’s postwar judiciary. The Constitution of Japan states that Japan is to have an independent judiciary and that the power of judicial review lies in the judiciary. It gives courts independent of political forces the important role as guardians of the Constitution. Nonetheless, the courts, when faced with a “peace lawsuit” based on Article 9 of the Constitution, have consistently bowed to the political administration of the time, ever since the ruling on the Sunagawa Case in 1959. Their rulings have been made with the aim of not ruffling the feathers of those in political power. This tendency of the judiciary to cater to those in power has been keenly visible since the new security legislation was railroaded through the Diet in 2015. Key examples are the 2016 Supreme Court decision overruling the Tokyo High Court’s ruling partially banning late night and early morning flights by the Japan Self-Defense Forces (SDF) at Atsugi Air Base, followed by another Supreme Court ruling the same month in favor of the national government in its dispute with the Okinawa Prefectural Government and local residents over the construction of a US military base in Henoko, Okinawa. This precedent caused a majority of experienced lawyers to express doubts over whether a lawsuit on the unconstitutionality of the new security legislation could be successful.
Nonetheless, we believed that for the judiciary, i.e., one of the three branches of government, to let slide the passage of such blatantly unconstitutional legislation would be tantamount to an act of suicide for the three-branched system of government itself. A judiciary that would turn a blind eye to the destruction of the peace constitution is no judiciary of a democratic nation, and would ultimately lose the trust of the people. With this conviction, we, together with other likeminded individuals of strong moral conscience, decided to confront the unconstitutional security legislation head on in a court of law.
Former German president Richard von Weizsäcker stated, “Those who close their eyes to the past will remain blind regarding the future.” We must not allow ourselves to forget the emergence of the Nazi regime that overturned the Weimar Republic and robbed people of their peace and dignity in just three short months, or the reign of terror that lasted for the next twenty years.
2. The lawsuits on the unconstitutionality of the new security legislation started off as a self-funded grassroots effort, and it was a bumpy road. In fact, the series of struggles was far beyond what we could have imagined. The movement started with the fumbling efforts of individuals volunteering to take a stand.
Against this backdrop, the first lawsuit was launched in Tokyo in 2016, followed in quick success with 25 lawsuits filed with 22 district courts including Fukushima, Kochi, Nagasaki, Osaka, Okayama, Saitama, Nagano, Kanagawa, Hiroshima, Fukuoka, Kyoto, Yamaguchi, Oita, Sapporo, Miyazaki, Gunma, Kushiro, Kagoshima, Okinawa, Yamanashi, and Aichi, in that order. The suits were launched by 7,699 plaintiffs represented by 1,685 attorneys.
One of the plaintiffs in the Aichi lawsuit was Nobel Prize-wining physicist Toshihide Maskawa, professor emeritus at Kyoto University. Dr. Maskawa sent the following message to the nation: “Let us protect Article 9 of the Constitution. No matter how small a single voice, when our voices come together they will be loud. If we wait until the country becomes able to wage war, it will be too late. If we wait until war starts, it will be too late. That is why we must protect Article 9 of the Constitution. I would be most pleased to see Article 9 of the Constitution granted the Nobel Peace Prize.” With renewed conviction, we established the Nationwide Network for Lawsuits on the Unconstitutionality of the New Security Legislation in a bid to draw on the experience of likeminded individuals nationwide, deepen our ties with them, and open up new prospects for victory in our fight.
3. In our view, the deepest significance of the lawsuits on the unconstitutionality of the security legislation lies in affirming in a court of law our unshakeable belief that we must never repeat the dark era of war experienced 81 years ago. Japan entered into World War II and engaged in a war of aggression, robbing more than 20 million people in Asia of their lives. In Japan alone, more than 3.1 million people were killed, with the war culminating in the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki and the bombing of Tokyo. We must engrave in our hearts the cries of anguish of those upon whom this war brought unspeakable tragedy. Throughout Japan are spreading movements of those who refuse to accept the policies pushed forward by the deceitful and irresponsible Abe administration and the Suga and Kishida administrations that followed him. We consider the lawsuits on the unconstitutionality of the security legislation to be a kind of smoke signal with strong ties to these nationwide movements aimed at recovering Japan’s constitutionalism and intelligence. In our view, we bear a historical responsibility to hold this torch high and move forth. The second significance of our lawsuits is their purpose of fundamentally questioning Japan’s judiciary’s tendency to meekly acquiesce to government policy without question, and to wake up individual judges across Japan to their role as those responsible for serving as one of the three independent branches of government. We also considered it necessary to question the negative attitude of some attorneys toward allowing the courts to rule on the security legislation. While we acknowledge some validity to the view that under the current system there is no choice but for the judiciary to attempt to hold on to some semblance of independence while practicing self-restraint in the face of pressure, continued silent acceptance of such reality would ultimately lead to Japan’s three-branched system of government collapsing from its foundations. The lawsuits on the unconstitutionality of the security legislation fundamentally call into question whether the independence of the courts whose job it is to uphold the Constitution, and the three-branched system of government itself, are functioning. Moreover, we held a strong conviction that Japan’s people have the strength to push back against the government’s reckless pursuit of turning Japan into a nation that can wage war, and we felt we had a responsibility to bring cohesion to that strength such that it can be wielded effectively. We believe we must fight to harness deep anxieties about peace as well as anger about poverty, discrimination, and disparity, bring together many people’s hearts as one, and fight against autocratic politics that continues to ignore human dignity and human rights.
4. Lawyers were central to the launch of the lawsuits on the unconstitutionality of the new security legislation. However, the many people who supported the cause and joined us as plaintiffs are being harmed by the security legislation in ways we, the lawyers who started the movement, could not have imagined. Their suffering is witnessed in the testimony they have given in the court proceedings. Some were direct victims of air raids and the atomic bombings during the war; others lost members of their family in the war. They have lived in the postwar era with memories of these tragedies imprinted in their hearts. The threat of being draw into war again as a result of the new security legislation reignites the fears that still haunt them. It also anguishes them that should Japan go to war once again it would signify a failure on their part to keep the promises they had made to those they lost in the war. These possibilities are agonizing for those who experienced the last war. Through these lawsuits, we also learned of the powerful role Article 9 of the Japanese Constitution has played overseas as a symbol of peace. During the Iran-Iraq war, when every ship was subject to attack, a Japanese ship flying the Japanese national flag made it through the Persian Gulf unscathed. We heard the plaintive appeals of former members of the Japan Self-Defense Forces and their families. We were painfully reminded of the fact that postwar Japan’s pacifism existed because of the sacrifice of the people of Okinawa. These experiences made us recognize the magnitude of what we have to lose. We realized that this critical issue of human dignity and peace must not be compartmentalized as the purview of the relatively small group of people involved in the lawsuits. Rather, it must be shared broadly and deeply with everyone in Japan. We must come together to think about what kind of country we want Japan to be going forward.
More than 300 plaintiffs gave statements in the 25 lawsuits nationwide. 150 plaintiffs underwent investigation in court. These included survivors of the atomic bombings and Tokyo air bombings, people living beside military bases, people living with disabilities, nuclear engineers, former Self-Defense Force personnel, aircraft commanders, railway workers, journalists, scholars of constitutional law, and educational scholars. Their raw testimonies spoke keenly of the frightful terror of war and of their fears about the government pushing forward with preparation to institute tragic policies once again. Michiko Muta, a survivor of the atomic bombing of Nagasaki 78 years ago, gave the following testimony at the Tokyo District Court: “We still cannot forget the terror of the atomic bombing of Nagasaki, which left 150,000 people dead or injured in an instant. I want Nagasaki to be the last place ever to be subjected to the suffering continuously inflicted on us by war and nuclear weapons.”
The original leader of the plaintiffs in the lawsuit lodged at the Nagasaki District Court was Sumiteru Taniguchi, chair of the Nagasaki Council of A-bomb Survivors, who passed away on 30 August 2017. Mr. Taniguchi made the following statement at the Nagasaki Peace Memorial Ceremony on 9 August 2015. A victim of the atomic bombing, Mr. Taniguchi was known as “the boy with the red back” because of a photograph of the extensive injury to his back. His whole body having been exposed to damage from the bomb, Mr. Taniguchi spoke forcefully of the inhumanity of the atomic bomb until the end of his days.
“After the war, Japan’s Constitution was written promising to the world that Japan would never again wage war or carry weapons. However, the government is now pushing acceptance of the right to collective self-defense on us. It is promoting revision of the Constitution and trying to bring us backwards to the era of war. The security legislation being pushed by the government will lead to war. With this legislation the government is attempting to undo all of the work many people have accomplished in our movement opposing war and endeavoring to abolish nuclear weapons founded on our experience of the atomic bomb and our wishes for peace. This cannot be tolerated.”
On his visit to Nagasaki and Hiroshima in 2019, Pope Francis sent delivered a speech entitled 'Appeal for Peace&apos, quoting the following message which Pope John Paul II had given: “War is the work of man. War is the destruction of human life. War is death.” It is absolutely clear that war is the ultimate violation of human rights violation, causing the massacre of millions of people, and inevitably entailing severe violence, discrimination, and suppression of free speech. And we, the Japanese, the people of Japan have managed for more than 70 years since the end of World War II, to prevent another war from breaking out, block off the path to another war for more than 70 years since the end of World War II under Article 9 of the Constitution, we believe. We must not forget these facts. Today, we are continuing our legal battle, asserting the unconstitutionality of the new security-related legislation, with acute awareness of the importance of this mission.