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控訴審へのご支援よろしくお願いいたします(山梨)

2021年4月19日

安保法制違憲訴訟やまなし訴訟原告団

 去る3月30日(火)甲府地裁・211号法廷におきまして、安保法制違憲訴訟やまなし(あんぽなし)の判決がありました。弁護団、原告、賛同人、報道関係者30人余りが見守る中、鈴木順子裁判長は主文:
原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。
を読み上げ、直ちに二人の裁判官(萩原弘子、大畠崇史)と共に後ろのドアから退席して行きました。この間ほんの数十秒、わたしたちはあっけにとられ、茫然とするのみでした。
2017年8月29日原告180名で提訴。それから3年半余り、11回の口頭弁論、38名の原告意見陳述、うち6名の原告本人尋問が行われてきました。原告の体験、主張に濃淡はありつつ根底に流れているのは非戦への痛切な思いでした。この原告たちの声を裁判官はいかに聴いてきたのか。
裁判では、平和的生存権、人格権、憲法改正決定権の侵害を訴えてきました。ところが判決文では、平和的生存権に関し、「憲法前文を根拠として個々の国民に対し、平和的生存権という裁判規範となるべき具体的権利ないし法的利益が保証されているものと解することは困難である」(判決文p.21)と述べ、だれのための憲法かを真に理解しているとは到底思えないきわめて冷酷な文章が綴られていました。
そもそも国民の声を十分にくみ取ることなく、強行採決の結果つくられた法律に対し、憲法判断を避け、原告の訴えは具体性に欠く、平和の概念は多様であるなどと巧みに逃げた判決文であり、表面的な取り繕いの空疎な文章と言わざるを得ません。
原告の主張に真摯に取り組んだあとすら見えない判決文にわたしたちは強い失望を感じました。裁判所は一体どこを見てこうした判決を出すのでしょうか。同種の裁判が全国で進行する中、わたしたち「あんぽなし」の裁判は地裁レベルでは10例目の棄却となりました。それらの判決文を読んでも、いずれも似たような判決文で、憲法判断を意図的に避けているのです。
このような司法の在り方に強く抗議するとともに、控訴をして引き続き安保法制の違憲性を主張していきます。
わたしたちは、4月12日(月)東京高裁に向けて怒りの控訴手続きを行い、裁判は新たなステージに入ります。今後は全国の訴訟団とも連帯・協働し闘ってまいります。県民の皆様の引き続きのご支援・ご協力をお願いいたします。

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安保法制違憲道東訴訟釧路地裁判決に対する声明

2021年3月26日

安保法制違憲道東訴訟原告団
安保法制違憲道東訴訟弁護団

 今月16日、釧路地方裁判所民事部(新谷祐子裁判長)は、新安保法制に対する憲法判断を避け、国家賠償請求を棄却する判決を言い渡した。

1、憲法判断回避

新安保法制は集団的自衛権の行使を容認するなど、憲法9条に一見明白に違反する法律である。
しかるに判決は「憲法適合性についての判断は、具体的事件の結論を導き出すに当たって必要な場合に行われるべきである。本件では・・・本件各行為(閣議決定と制定)によって原告らに損害賠償の対象となり得るような権利又は法的利益の侵害があったということはできず、原告らの被告に対する国賠法1条1項に基づく請求権が認められないことに帰する以上、本件各行為の憲法適合性についての判断を行うことが結論を導き出すに当たって必要な場合に当たるとはいえない。」(25ページ下から5行目から)として憲法判断から逃避した。
憲法9条が先の大戦での加害及び被害の歴史に対する深い反省から規定された他の憲法に例を見ない徹底した恒久平和主義に立った規範であり、日本の国柄を形作る根本規範であることに対する思いを感じることのできない極めて問題のある判決である。
人権保障の砦として立憲主義を実現するため、立法・行政の憲法違反の政治を正すという司法の使命、裁判官の憲法尊重擁護義務に背を向けた判決である。
これまで言い渡された7つの地裁判決と1つの高裁判決と同様に本判決も、三権分立の存在を示すべき究極の場面で、憲法判断を避けてしまった。
沈黙して立憲主義違背に背を向けることは、立憲主義違背に加担することに他ならない。裁判所自らが立憲主義違背を行ったと同じことである。
フランス人権宣言にも「権力の分立が定められていないすべての社会は憲法を持たない」と明言している。日本国憲法の根幹にかかわる規範の違反行為について、違憲立法審査権を行使しない本判決に対しては深い失望とともに極めて大きな違和感を覚える。
原告等は違憲の新安保法制の制定・施行を原因に権利・利益を侵害され精神的苦痛を被ったとして本請求を行っているのであり、新安保法制の違憲性とその程度、内容を判断することは、原告らの権利・利益の侵害の有無、程度の判断の前提となるものであり、論理的に憲法判断が先行すべきことでもある。

2、原告らの権利・利益の否定

⑴ 平和的生存権の否定

判決は平和的生存権については「目指すべき理念の一つとして表明しているとはいえるものの・・・一義的に確定することは困難であり、これ(憲法前文の文言)を根拠として個々の国民に具体的な権利又は法的利益として保障されていると解することはできない。」(14ページ下から3行目から)として「権利」はもとより「利益」すら認められないとする。しかし、憲法の根本理念を規定する憲法前文において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とし「権利」として明確に規定されているのである。平和的生存権は国連総会でも採択されるなど国際社会においても広く認められており、本判決は平和的生存権の権利性を認めた長沼ナイキ訴訟札幌地裁判決、自衛隊のイラク派遣に関する名古屋高裁判決・岡山地裁判決の流れから大きく後退するものである。
平和的生存権の法的「利益」性すら認めない本判決には憲法を尊重し擁護しようという姿勢が全く感じられない。
また本判決は、憲法9条については「・・・国家の統治機構ないし統治活動における規範を定めたものであって、個々の国民に何らかの権利を与え義務を負担させることを定めた規定ではない」とする(15ページ9行目から)。しかし、憲法9条は戦争放棄、専守防衛等により平和的生存権にいう「平和」の意味内容を充填するとともに、基本的人権である平和的生存権を保障するための言わば「防火壁」であり、その「防火壁」がまさに破壊されてしまったときに憲法判断をしないという選択肢はない。

⑵ 人格権侵害の否定

本判決は原告らが主張する人格権については、「本件各行為の後5年以上経過した当審の口頭弁論終結時において、本件各行為に起因して我が国が他国による武力攻撃やテロリズムの対象とされた事実は認められず、・・・本件各行為が原告らの生命、身体及び健康に対する現実的かつ具体的な危険性を生じさせるものとは認められない。」(p19下から9行目から)として、「現実的かつ具体的な危険性を前提とせず、個人の有する経験や思想・信条によって大きく左右される個別的、主観的な感情及びこれがもたらす精神的苦痛は、個々人が共通して有する普遍的な人格的価値に対する侵襲とはいえず・・・人格権の範疇として法的保護の対象にされるべきものとはいえない」(p20下から12行目から、p22の下から6行目から)とする。
まず、戦争が始まってからでなければ救済しないという裁判所の態度に失望を禁じ得ない。新安保法制の施行により、日本が、自衛官がアメリカの始める戦争にいずれ巻き込まれるであろうことは、半田滋証人の証言等で明らかにされた。原告らは戦争が起こってからでは遅いから提訴したのである。戦争やテロが起きた時点で違憲判決を行うのであれば、今、行わなければ意味はない。もし、戦争やテロになっても憲法判断をしないというのでは司法の完全なる自殺というほかない。
次に、原告らの精神的苦痛は憲法違反の新安保法制の制定・施行によるものであり、憲法に裏打ちされた思想・信条がもたらすものである。さらに、「普遍的な人格的価値に対する侵襲」の意味が不明であるが、もし、憲法違反の立法により精神的苦痛を感じない人もいる、よって、その苦痛は普遍的ではないので法的保護の対象とすべきではないという理論であれば、司法というものの理解を根本的に誤っていると言わざるを得ない。判決は「原告らが強い不安、怒り、憤り、危機感などを抱いたことは優に認められる」(p20の11行目から)、「生命、身体及び健康を失うことを恐れる不安にとどまらず、・・・立法及び政策判断がされたことに対する強い憤りや精神的苦痛というべきであり、事実として認定できるものであって」(p22の下から6行目)としながらその救済をしないという態度をとっているものであり、司法が政治的な少数者の基本的人権を憲法違反の行為から救済することが使命であることを忘れていると言わざるをえない。

⑶ 憲法改正権・制定権侵害の否定

判決は、憲法改正規定である「憲法96条1項は・・・実際に憲法改正の発議がない状況下で、個々の国民に憲法改正にかかわる具体的な手続を要求する権利が付与されているとはいえないし、・・・憲法改正の発議がなされなかったことが直ちに個々の国民に対する権利又は法的利益の侵害となるものではない。」(p25の2行目から)とする。
しかし、原告らが問題にしているのは、戦争放棄を規定した憲法9条で恒久平和主義、専守防衛の国是という日本の国柄、日本国憲法のアイデンティティーを他国の始める戦争に加担するという根本的な変質をもたらした重大な立憲主義違背行為を問題にしているものであり、かかる重大な違憲立法が憲法改正手続(特に国民投票の機会)を経ずになされたのであるから、憲法改正権・決定権の侵害があったと考えるのが当然である。

⑷ 権利侵害性のまとめ

判決は原告ら全員に権利も法的利益もないとする。人権保障の砦として、憲法尊重擁護義務のある裁判官、裁判所が、原告らに何らかの「法的」利益性を認める姿勢があれば、「国家賠償法上違法となりえるのは憲法上保障され又は保護されている権利利益」と判示した再婚禁止期間に関する平成27年最高裁判決の判例法理を本判決にも適用し、憲法判断に踏み込むことも可能だったものである。
憲法判断回避に終始した本判決に対し、原告団及び弁護団は怒りと失望の気持ちを表明せざるを得ない。
道東訴訟原告団及び弁護団は本判決には全面的に不服であり、3月25日に、札幌高等裁判所に控訴した。
我々は子供たちの未来のためにも、今後も裁判所に対し違憲立法審査権の行使を強く求めていく所存である。

以上の決意を表明する。

以上

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安保法違憲訴訟(沖縄)の福岡高裁那覇支部判決に抗議する声明

2021 年 2 月 18 日

沖縄安保法違憲訴訟弁護団

1 本日、福岡高裁那覇支部において、安保法の違憲性を問う訴訟の控訴審判決が下された。
結論は、1審同様に原告らの請求を退けるものであり、安保法が違憲であるとの原告らの主張を裁判所は認めてなかった。この点については、1審判決同様、安保法のごとく憲法の根幹を揺るがしかねない重大かつ深刻な問題に対して司法権を担う裁判所が真摯に向き合おうとしない姿勢、そして憲法を頂点とする立憲主義が崩壊していくことへの強い危惧という批判がそのまま当てはまる。

2 しかし今回の控訴審判決の不当性は、その点にとどまらない。
控訴審第1回期日において、原告らは、1審で排斥された主張を補強すべく、1審で採用されなかった専門家証人の尋問を改めて申請し、その意見書作成を準備中である旨述べようとした。ところが裁判所は、これを遮るようにしていきなり審理を終結させ、判決言い渡し期日を指定する、という暴挙に出た。
原告らの今後の立証予定を聞き、それを検討するのではなく、これを遮るようにして結審を強行した裁判所の態度は、原告らの訴訟活動を封じることを意図した露骨な訴訟指揮というほかなく、安保法の違憲性を認めないという予断を最初からいだいていたとしか考えられない。
しかも、いまだ沖縄県独自の緊急事態宣言が解除されていない中で、判決言い渡し期日の変更を求めた原告らの申立てをも一顧だにしなかった。これでは、高齢者も多い原告らの裁判を受ける権利(憲法 32 条)は有名無実となってしまう。

3 現在、全国の裁判所で同種訴訟が係属しており、控訴審に移行しているものもある が、全国の高等裁判所の中でも、今回の福岡高裁那覇支部のような不当な訴訟指揮を行った裁判所は存在しない。
札幌地裁は、原告本人尋問も専門家証人の尋問も採用しなかったが、その控訴審である札幌高裁は一転して複数の専門家証人の尋問を採用した。東京地裁は、原告本人尋問のみ採用し専門家証人の尋問を採用しなかったが、その控訴審である東京高裁は、やはり専門家証人の尋問を採用している。
ところが、この沖縄訴訟では、那覇地裁は原告本人尋問のみ採用したにとどまり、しかも今回控訴審の福岡高裁那覇支部は、専門家証人の尋問を一切採用しなかったのである。

4 日本国憲法は、立法や行政からの司法権の独立を明言し、さらに裁判所に違憲審査権を与えることによって(憲法 81 条)、三権分立の原理をより実質化しようとした。
ところが今般の福岡高裁那覇支部の判決とそこに至る訴訟指揮の不当性は、三権分立原理がもはや空洞化しているのではないか、との懸念をいだかせる。
われわれは、今回の判決とそこに至る訴訟指揮の不当性を断じて許すことができな い。立憲主義と平和主義を根幹とする憲法を守りぬく努力をさらに継続する所存である。

以上

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不当判決への抗議声明(安保法制違憲訴訟埼玉の会)

2021年3月17日

不当判決への抗議声明

安保法制違憲訴訟埼玉の会

共同代表  倉橋綾子、斎藤紀代美、沼尾孝平、
野島久美子、門奈直樹
原告弁護団  北澤貞男、佐々木新一ほか102名

本日、さいたま地方裁判所第2民事部合議A係(岡部純子裁判長)は、安保法制違憲国家賠償請求事件について原告らの訴えを退ける不当判決を言い渡しました。原告らは、集団的自衛権行使を容認する新安保法制法は一見明白に憲法に違反し、後方支援活動やPKO活動における任務拡大なども違憲であり、この法制に係る内閣及び国会の立法行為は違法であるとして、国家賠償を求めた訴訟です。原告らの平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権の侵害については国家賠償法上の保護利益にあたらない等という理由で、原告らの訴えをすべて棄却し、しかも、新安保法制法の違憲判断を回避しました。この不当判決に断固として抗議します。

2016年6月20日第一次提訴、同年10月21日第二次提訴、2017年11月20日第三次提訴を含めて原告総数573名で闘ってきました。兵役経験者、東京空襲、熊谷空襲、広島原爆の被害者、満州からの引き揚げ者、親の戦死等により辛酸を舐めた者など悲惨な戦争体験者が多数含まれ、新安保法制は過去の辛い記億が生々しく蘇りPTSDの症状で苦しむ訴えもありました。また、体験はなくても悲惨な戦争の実相を知る原告らは、教え子を再び戦場に送るな、子や孫の世代に平和な日本を遺したい、二度と戦争の被害者も加害者も御免だ、として104名に及ぶ原告らが陳述書を提出し、不安、恐怖や苦痛などの人権侵害を訴えて違憲判断を求めました。

平和的生存権の具体的権利性を無視する司法

判決は、平和的生存権について「平和とは、理念ないし目的としての抽象的概念であり…個々の国民に対して平和的生存権という具体的権利ないし利益が保障されているものと解することはできない」として旧態依然の判示をしました。

私たち原告はこの判示に到底納得できません。2008年の名古屋高裁判決では、「平和的生存権は、全ての基本的人権の基礎にあって、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求めることができる」と判示するように、平和的生存権は具体的権利性を有し裁判上救済されるべき権利として理論的発展を遂げています。今日では、国際社会で提唱の「平和への権利」の基礎理論を構築したものとして世界に誇れるものです。2016年12月、国連総会は「平和への権利宣言」を採択し、平和が単なる理想や状態ではなく、人間の「権利」であることが確認されました。憲法に明文規定のある日本の司法が、権利でないと判示するのは恥ずかしいことです。

原告らの人格権の侵害についても、安保法制法の成立そのものをもってしても、「我が国が他国の戦争に巻き込まれ戦争の当事国になったりテロの標的とされたりするおそれが現実的に生じたことを認める証拠はない。原告らの生命・身体の安全が侵害される具体的な危険が発生したものとは認め難い」として、各立法行為と具体的危険を切り離すことで人格権の侵害を否定した判断は、裁判所の人権意識の低さを露呈して情けない限りです。

戦争に至る蓋然性、緊迫感の欠如

新安保法制により、米国政府の言いなりに兵器の爆買い、米軍との共同訓練が増し、米国にある米軍施設での訓練中に航空自衛隊員が練習機の墜落で死亡しています。2016年の南スーダンへの PKO派遣では、政府軍と反政府軍との戦闘状態下のジュバで、自衛隊宿営地の上を砲弾が飛び交い、施設の一部に着弾し、自衛隊員らは遺書を書くほどであり、「駆け付け警護」の任務を付与され自衛隊員らは、まさに戦闘に巻き込まれ一触即発の状態でした。

加えて、2017年、弾道ミサイル発射で挑発を続ける朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対抗するために極秘のうちに先制攻撃が検討・準備されていたという第二次朝鮮戦争前夜と言うべき諸事実を挙げて、日本が戦争に至る高度の蓋然性があることも最終準備書面で訴えました。このような緊迫した情勢についてもさいたま地裁判事らは注目せず、今また、「尖閣上陸阻止」で、海上保安官(これに代わって対応する海上自衛隊の自衛官)も『危害射撃』可能との政府の見解が示され、尖閣諸島海域は緊張の度を高めています。

司法の義務を放棄した判決

95%を超える憲法学者が集団的自衛権行使は違憲だと考え、歴代の内閣法制局長官も同じ判断を2013年まで維持し、「新安保法制は一見して明白に憲法違反だ」と宮﨑礼壹・元内閣法制局長官も主張しています。山口繁・元最高裁長官、そして濱田邦夫・元最高裁判事も違憲の見解を表明し、「違憲立法審査権は司法の義務であり、権利であるので本件こそ行使すべきである」と強調します。三権分立の下で、司法が立法及び行政の過ちを正さずに追随すれば、憲法の破壊に司法が手を貸すものといわざるを得ません。立憲主義、民主主義の破壊、そして権力の暴走に歯止めがかからず、主権者である原告らは愚弄され平和に生きる権利は侵害されたままです。裁判官に良心はないのでしょうか。

満腔の怒りをもって本判決に抗議し、この闘いを続けるため控訴の決意を表明します。

以上

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安保法制違憲・東京地裁判決(差止訴訟・国賠訴訟)に対する声明

2020年3月13日

東京安保法制違憲訴訟弁護団

安保法制違憲訴訟全国ネットワーク

代表  寺  井  一  弘

 
本日、安保法制を憲法違反とする訴訟について、東京地方裁判所民事第2部(森英明裁判長裁判官、三貫納有子裁判官、鈴鹿祥吾裁判官)は、極めて不十分な理由付けにより、差止請求を却下し、国家賠償請求を全部棄却するという判決を言い渡した。

その内容は「防衛出動命令等の差止請求は処分性や原告適格を欠くため不適法」「平和的生存権は法律上保護された具体的権利ではない」、「自らの信条や信念と反する立法等によって精神的苦痛を受けたとしても社会通念上受忍されるべきもの」「平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権の侵害はいずれも認められない」など、原告らの真摯な訴えや緊迫した中東情勢その他の軍事的状況を考慮しない不当な内容であり、特に安保法の違憲性等の憲法問題につき、「その余の点について判断するまでもなく」と述べるだけで何ら触れておらず、憲法判断をしない具体的な理由も示さないという点は、本件判決に先立つ昨年(2019年) 11月7日の東京地裁民事第1部判決と同様に憲法判断を不当に回避するものであり、人権保障の最後の砦とされる司法権の役割を果たそうとしなかったものというほかない。

本件訴訟で原告らは、昨年11月7日の民事第1部判決とは異なり、国家賠償請求だけではなく、行政事件訴訟法上の差止めの訴え(差止訴訟)も提起した。しかし、本件判決は、差止めの訴えに関し、その訴訟要件である処分性や原告適格が認められない旨判断することで、憲法違反の主張を含む行政処分の違憲・違法についての実体判断を全くしなかったのである。しかし、本件訴訟の請求の趣旨に対応する内閣総理大臣又は防衛大臣による存立危機事態における防衛出動等の各行為は、原告らに対する行政処分ないし公権力の行使であって、本来、処分性や原告適格を満たすものであるというべきである。

原告らは、本件において、主位的主張として集団的自衛権の行使等の事実行為を行政処分と捉え、予備的主張として集団的自衛権による自衛官に対する防衛出動命令等を行政処分と捉えて主張した。

ところが、本件判決は、本件主位的主張との関係でいえば、存立危機事態における自衛隊の防衛出動(集団的自衛権の行使)、後方支援活動又は協力支援活動としての物品・役務の提供、駆け付け警護等の国際平和協力業務の実施及び武器等防護のための警護の実施という各事実行為は、自衛隊が武力を行使し又は武力の行使に至る危険を生じさせるものとして、原告らの平和的生存権、人格権及び憲法改正・決定権を侵害し、その侵害状態の受忍を強いるという意味で直接的な公権力の行使といえるのである。また、予備的主張との関係では、請求の趣旨に対応する内閣総理大臣ないし防衛大臣の自衛隊又はその部隊等に対する行政機関における命令が自衛官に対する命令に至るものであることから(ただし、合衆国軍隊等の部隊の武器等の警護については直接自衛官に対する命令である。)、自衛官に対する上記各命令が本件差止の訴えの対象となる行政処分であり、また、原告らには当該処分に関し処分の名宛人以外の者としての法律上保護されるべき利益(原告適格)が認められるべきであるが、本件判決は、処分性につき法的効果がない旨述べ、また原告適格につき「自己の具体的な権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者」ではない旨述べるだけで十分な理由を示すことなく否定し、本案審理における憲法判断等を不当に避けている。このような判断は、憲法の趣旨のみならず、実効的な権利救済を図るという行政事件訴訟法の趣旨にも反している。このように処分性や原告適格の意味を不当に狭く解釈することで実体判断・憲法判断を避けようとする本件判決の態度は、処分性や原告適格を拡大し、積極的に実体判断をしようとする今日の最高裁判決の傾向にすら反するものである。

審理の仕方についてみても、原告本人尋問は行ったものの証人尋問は行わず、また、昨年末以降の自衛隊の中東海域への派遣や米・イラン間の武力攻撃の応酬・連鎖等による状況の変化から原告らが行った口頭弁論再開の申立てを事実上考慮せず、弁論を再開することなく漫然と判決をしており、裁判所の職務を十分に果たしていない。

本件判決のような司法の消極的態度は、原告らが懸命に訴えてきた人権侵害の状況や武力衝突が繰り返されている世界の現状を軽視するものであり、政府が私たちの平和憲法を破壊することに手を貸す結果を生じさせている。内閣及び国会において多数を占める政権与党や首相官邸による立憲主義・法の支配の破壊行為を止められる機関は、憲法上司法権の独立が保障された裁判所なのである。本件が一見して極めて明白な憲法違反が問われている重大事件であるにもかかわらず、裁判所が憲法問題について正面から回答せず、基本的人権や平和主義を中核に据える日本国憲法の理念を無視した形式的判断をしたことに、私たち市民は、「希望」を見出すことができるのだろうか。

政府による平和憲法の破壊を止めるべく、控訴審も力を合わせ、私たち市民の人権と平和憲法を守る最後の砦となるはずの「希望の裁判所」による正しい判断を求めて闘い抜くことをあらためて決意する次第である。

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【声明】安保法制違憲・国賠訴訟東京地裁判決に対する声明

2019年11月7日

東京安保法制違憲訴訟弁護団

 言語道断の判決である。

東京地方裁判所民事第1部は、違憲の新安保法制法の制定・施行が不法行為であるとして国家賠償を求めた原告らの訴えを、本日、新安保法制法の違憲性には何ら言及せずに、原告らが侵害されたと主張する権利・利益が国家賠償法上の保護利益にあたらない等という理由で棄却した。

しかし、このような判決は到底受け入れられない。原告らが蒙った損害は、原告らが被侵害権利・利益として主張する平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権の侵害である。その審理において、新安保法制法そのものの違憲性と立法行為の異常性についての判断を避けて通ることはできない。この判断を回避し、国家賠償法上の保護利益にあたらない等との理由で原告らの請求を棄却した判決は、原告らの主張に真摯に向き合わず、司法が責務も誇りも捨て去り、行政府・立法府の顔色を窺ってその意向に添おうとした結果と評されてもやむを得ないものである。

最高裁判所は、国会議員による立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合には、国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受ける旨を述べており(最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁)、原告らは、本件はまさにこのような立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害しているとの主張をしていた。しかしながら本判決はこのような観点からの判断を一切していないばかりか、本件侵害行為は「立法行為及び閣議決定であり、それ自体が原告らの生命・身体の安全に危険をもたらす行為とはいい難い」などと述べ、なすべき判断をしないまま請求棄却との結論を導いているものであって、裁判所が予断を持って本判決を言い渡したものとしか考えられない。

判決は、平和的生存権について「平和とは、理念ないし目的としての抽象的概念であり、各個人の思想や信条により、多様な捉え方が可能なものである。また、平和は、個々人の信条や行動のみならず、常に他者との関係を含めて初めて達成し得るものであって、これを確保する手段、方法は、常時変化する複雑な国際情勢に応じて多岐多様にわたり、特定することができない……「平和のうちに生存する権利」との文言から、直ちに一定の意味内容や、これを達成する手段や方法が特定されるものではないから、憲法前文から裁判規範となるべき国民の権利としての具体的な意味内容を確定することは困難であり、憲法前文を根拠として、個々の国民に対して平和的生存権という具体的権利ないし利益が保障されているものと解することはできない」と判示する。しかし、このような「平和」の捉え方は特異なものであって、平和的生存権の憲法規範としての意義を放棄したものといわざるを得ない。これは、本件がこれまで平和的生存権という名の権利が争われてきた多くの事案とは異なり、政府自身が長年に亘って憲法上許されないと明言してきた集団的自衛権行使の容認を問題とするものであることに目をつぶるものである。憲法上の概念は多かれ少なかれ抽象的なものがほとんどであるが、だからといって憲法上の権利についての規定が裁判規範とならないわけではない。本件は、「平和」や「平和的生存権」をどのように解するにせよ、その中核部分が行政府と立法府によって毀損されたことがあまりにも明白な事案であるのだから、上記のような判示には何らの説得力もない。

また、判決は、人格権の侵害の主張に対し、「本件全証拠によっても、当審における口頭弁論終結時において、我が国が他国から武力行使の対象とされているものとは認められず、客観的な意味で、原告らの主張する戦争やテロ攻撃のおそれが切迫し、原告らの生命・身体の安全が侵害される具体的な危険が発生したものとは認め難い」と判示し、さらに「我が国が現実に武力行使又はテロ攻撃の対象とされている」ことを否定した上で、原告らの人格権の侵害がないと判断した。このような判断は、現実に戦争が開始され又は戦争の危険が迫っている状況でなければ人格権侵害が生じ難いとするものであって、これでは、原告らの救済を放棄したものといわざるを得ない。

 

個人の人権が侵害されたとの訴えがなされた場合、これを憲法によって救済するため、その侵害の有無に誠実かつ謙虚に向き合うのが本来のあるべき司法の姿である。この訴訟の原告らは、その経験と良心に基づいて、主権者としてこの憲法に定められた権利を行使し、国の責任を問い、本件国家賠償請求訴訟を提起した。ところが、東京地裁民事第1部の裁判官らは、一見してきわめて明白な憲法違反が問われているこの重大事件に対し、原告らの求める証人尋問すら拒否し、原告らの訴えを一方的な予断をもって切り捨てた。原告らの真摯かつ切実な本件訴えに対し、その応答としてなされた今回の判決は、司法の使命の否定であると同時に、憲法の理念を根底から否定し、戦争へと舵を切ろうとする国策による憲法の破壊・蹂躙に、司法が積極的に手を貸すものといわざるを得ない。

我々は、現政権を忖度してなすべき判断を回避したとしか考えられない本判決に断固として抗議するとともに、これにいささかも怯むことなく、司法が本来の使命を全うしてしかるべき判断を下す日まで全力で闘い続けることをここに宣言する。

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満身の怒りを込めて札幌地裁判決を糾弾する

2019年4月22日 安保法制違憲訴訟全国ネットワーク

代表  寺  井  一  弘

1、本日、安保法制を憲法違反とする訴訟について、札幌地方裁判所民事第5部(岡山忠広裁判長)は主張立証が全く尽くされていないにもかかわらず、唐突かつ強引に審理を打ち切ったうえ差止請求を却下、国家賠償請求を全部棄却するという判決を言い渡した。

その内容は「防衛出動命令等の差止請求は不適法」「平和的生存権は法律上保護された具体的権利ではない」「自らの信条や信念と反する立法等によって精神的苦痛を受けたとしても受忍されなければならない」「安保法の違憲性を判断するまでもない」など空疎極まりないもので、「武力」という最も危険な国家権力の発動を禁止し、国を訴える権利を含む国民の基本的人権を定めた憲法を土足で踏みにじった。そもそも原告の権利や利益の有無について原告本人尋問すら行わず、真摯にその訴えを聞くこともなく判断したことは「事実を認定し、その事実を前提として法律を適用する」という司法の基本的役割を放棄している。

このような判決に関与した裁判官(岡山忠広、根本宜之、牧野一成)は、「司法」の名を借りて、権利の主体であり主権者である国民を愚弄し、民主主義に基づく不可欠な国民的基盤たる三権分立の原理を支えるところの自らの使命を放擲し、内閣及び国会において多数を占める政権与党に積極的に迎合してそれに屈したものと受け止めざるを得ない。このような裁判官によって構成される合議体は、およそ司法という名に値するものではない。

個人の人権が侵害されたとの訴えがなされた場合、これを憲法によって救済するため、その侵害の有無に誠実かつ謙虚に向き合うのが本来あるべき司法の姿である。ところが札幌地裁の裁判官らは、一見してきわめて明白な憲法違反が問われている重大事件に対して、証人尋問はもとより原告の本人尋問すら拒否し、原告・弁護団の訴えを一方的な予断をもって一刀両断に切り捨てた。これは司法にあるまじき行為であり、司法権力の濫用であり傲りである。

2、札幌地裁における原告・弁護団には、集団的自衛権行使の最前線に立たされる自衛官とその家族を、隣人・生徒・学生・クライアントとするものがいる。また、自衛隊基地と生活を共存させてきた人たちも多数いる。北海道は、沖縄や本土とともに、アジア太平洋戦争の犠牲になった。敗戦時のソ連軍侵攻とともに人々が負った傷は甚しく深く、北方領土問題、自衛隊基地問題など政治的・経済的には勿論のこと、北海道は歴史的・文化的・学術的にも、常に「軍事」と「平和」に向き合ってきた。長沼ナイキ基地訴訟や恵庭訴訟はこの札幌の地で争われ、その中で自らの人生を選択してきた戦後生まれの人も少なくない。そして人々の生活はもちろん、教育や福祉も、こうして選び取られた「平和」とともにあった。このように、アジア太平洋戦争を生き抜いた人も、戦後生まれの人も、それぞれの経験から、日常の平和を大事にし、暴力や差別に抗いながら日本国憲法をよりどころにして人生を切り拓いてきた。深瀬忠一北海道大学名誉教授が多大な理論的貢献をされた「平和的生存権」は、長沼訴訟に大きな影響を与えた。さらに2008年の名古屋高裁判決が示すように、「平和的生存権」は具体的権利性を有し裁判上救済されるべき権利として理論的発展を遂げている。「平和的生存権」についての憲法学説は、次の世代に承継されて発展し、今日国際社会で提唱されている「平和への権利」の基礎理論を構築したものとして世界に誇れるものとなっている。

3、こうした憲法の核心ともいうべき戦争放棄を定めた9条が、これまでの政府解釈を全く無視して集団的自衛権行使を容認するものと解釈されたうえ、「戦争法」の異名をもって世間に通用するような本件安保法制によって、自らが、隣人が、教え子が戦争に直面させられることを誰が黙って見過ごすことができるのだろうか。しかも、この北海道、札幌の地においてである。

政府が2018年12月に策定した新防衛計画の大綱と中期防衛力整備計 画は、イージスアショアの配備、いずも型護衛艦の空母化、短距離離陸垂直着陸が可能な F35B の大量購入や長距離巡航ミサイルの導入など、敵基地攻撃可能な兵器の配備により戦争への道をさらに大きく進めた。札幌地裁がこの時期に、迫り来る戦争の危機に一切目を背けて憲法判断を避けたことは、司法の戦争加担に他ならない。私たちは、戦前、司法が治安維持法や軍機保護法など様々な悪法のもとで無辜の人々を弾圧し戦争を推し進めた、あの悪夢の時代を想起して戦慄せざるを得ない。

4、この訴訟の原告らは、その経験と良心に基づいて、主権者としてこの憲法に定められた権利を行使し、国の責任を問い、集団的自衛権を差し止める訴訟と国賠訴訟を提起した。こうした原告・弁護団への応答としてなされた今回の判決は、憲法の理念を根底から否定し、戦争へ舵を切るという憲法の破壊・蹂躙に司法が手を貸すものである。各国が戦争を放棄して国際社会に平和をもたらすためには、各国の憲法に戦争放棄を書き込まなければならない。日本国憲法は、その理想を世界に先駆けて実行し、私たちを国際社会において名誉ある地位に押し上げてきた。十分な審理をしないで平和憲法の破壊に手を貸した札幌地裁裁判官らは、そうした流れに逆行し、日本を戦争へと導く重大な過ちを犯したものとしてその責任を厳しく問われるべきである。ワイマール共和国の崩壊とヒトラー独裁政権の出現の要因として、後世、権力に迎合した裁判官の存在が鋭く批判の対象とされてきたが、本日の判決を下した3人の裁判官も安倍政権による平和憲法の破壊に加担した裁判官として歴史的責任を追及され続けることになるであろう。

この闘いは、これからも控訴審、上告審へと続く。私たちはこの理不尽極まる判決に決してひるむことなく闘い続ける。

5、私たちは、このような札幌地裁判決とこれを言い渡した裁判官に対し心からの強い怒りを表明するとともにこのような司法と裁判官の責任を糾弾し、徹底的に追及していく。

全国で提起されている25の安保法制違憲訴訟では、原告側が申請した宮﨑礼壹元内閣法制局長官ら証人全員を採用した前橋地裁の決定など、今後様々な推移を辿ることになる。

私たちはこれからも平和憲法を死守するために国民市民と固く連帯しながら創意工夫して総力あげて闘い抜くことを決意している。この闘いの目的は、堕落した政治と司法を変え、憲法を国民市民の手に取り戻すことにある。このことこそが世界に誇る憲法9条を持つ国の主権者である私たちの使命であり責任であると確信するからである。

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安保法制違憲北海道訴訟第一審判決に対する声明

安保法制違憲北海道訴訟原告団
安保法制違憲北海道訴訟弁護団

本日、札幌地方裁判所民事第5部(裁判長岡山忠広(代読))は、安保関連法が憲法に違反し、平和的生存権・人格権が侵害されたとして、国を相手に訴えた国家賠償請求訴訟と自衛隊の行動の差止を求めた差止請求訴訟について、前者は原告らの請求を棄却する判決、後者は請求却下の判決を言い渡した。

その理由として、本判決は、国家賠償請求については、原告らの主張する「平和的生存権」や生命身体の安全を含む「人格権」は、具体的な権利性がなく、国家賠償法上保護された権利ないし法的利益と認めることができないこと、差止請求については、原告らが求める差止の対象は行政の行使そのものであり、その行使に対し、民事上の請求としてその差止を求める訴えは不適法であること、また、行政法上の差止請求としてもその要件を満たしていないことをあげる。

しかし、本判決は、安保関連法が憲法に明白に違反していること、日本が戦争に巻き込まれ、テロの攻撃対象となる具体的な危険性があること、安保関連法が実施されたこの3年間、日米の一体化が深化し世界中の紛争に関わる米軍と行動を共にする機会が増え、日本を敵視していなかった国や武装組織が日本を「敵」と見做す具体的な可能性があることを直視しない、極めて不当な判決である。

それだけでなく、裁判所は、原告が申請した本人尋問や証人尋問を一切行うことなく、また一部原告の具体的被害の主張すらさせないまま判決を言い渡したもので、それは原告敗訴の判決をしようという予断を抱いていたものと言わざるを得ない。それは公正な裁判による判決とは到底言えるものではない。

内容においても、原告らの具体的被害を、「自らの信条や信念と反する立法が行われることによって生ずる精神的苦痛にすぎず、間接民主主義の下では社会通念上受忍されるべきもの」などと一蹴し、例えば、いつ自分の息子が命を奪われるかわからないという精神的苦痛だけでなく、親子関係を断絶せざるを得ないというほどの現職自衛官の母親である原告の苦痛、苦しみについても、「いまだ集団的自衛権の行使等として出動命令が出される蓋然性は低く、これら原告の抱く不安や恐怖はいまだ抽象的な不安の域を出ない」などと目を向けようとしないもので、全く空疎な判決である。

さいごに、本判決のように、安保関連法に対し、裁判所が沈黙することは基本的人権の保障を使命とする裁判所の責務の放棄であることを指摘する。

私たちは、裁判所が憲法で保障された違憲立法審査権を積極的に行使することを札幌高等裁判所に強く求めて、直ちに控訴することを決めた。

同時に、札幌高裁では、必ず勝利するために全力を尽くす決意を表明する。

以上

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