不当判決への抗議声明

2021年5月27日

安保法制違憲訴訟みやざきの会
共同代表 前田裕司,宮下玲子,樋口のり子 他336名

安保法制違憲訴訟宮崎訴訟弁護団
後藤好成,松田幸子,江原健太,山田秀一,久保山博充 他24名

 昨日,宮崎地方裁判所第2民事部合議係(古庄研裁判長)は,安保法制違憲国家賠償請求事件について原告らの訴えを退ける不当判決を言い渡しました。原告らは,集団的自衛権行使を容認する新安保法制法は一見明白に憲法に違反し,後方支援活動やPKO活動における任務拡大,他国の武器防護なども違憲であり,この法制に係る内閣及び国会の立法行為は違法であるとして,国家賠償を求めました。判決は,原告らの平和的生存権,人格権,憲法改正・決定権の侵害については国家賠償法上の保護利益にあたらない等という理由で,原告らの訴えをすべて棄却し,しかも,新安保法制法の違憲判断を回避しました。この不当判決に断固として抗議します。
私達は,2017年3月29日第一次提訴,同年12月27日第二次提訴,2018年12月25日第三次提訴を含めて原告総数279名で闘ってきました。兵役経験者,東京空襲,宮崎・延岡空襲,原爆の被害者やその家族,満州からの引き揚げ者,戦後の食糧難などで辛酸を舐めた者など悲惨な戦争体験者が多数含まれ,新安保法制は過去の辛い記億を生々しく呼び覚まし,また,体験はなくても悲惨な戦争の実相を知る原告らは,教え子を再び戦場に送るな,子や孫の世代に平和な日本を遺したい,二度と戦争の被害者も加害者にもなりたくないとして103名に及ぶ原告らが陳述書106通を提出し,21名が原告本人尋問で,不安,恐怖,苦痛,怒り,憲法の番人たる裁判所への思いなどを訴えて違憲判断を求めました。また,半田滋,今井高樹,飯島滋明各専門家証人の尋問においては,安保法制法の本質が米国の求めに応じていつでも戦争できる体制を整え,日本を平和国家から軍事国家に変えるものであること,日本国憲法前文や9条が示す本来の積極的平和活動を妨げ海外邦人を危険に晒すこと,平和的生存権・人格権・憲法改正決定権が具体的権利性を持ち国家賠償請求で保護されるべきことを示しました。
判決は,平和的生存権について「憲法前文は,具体的な基本的人権その他の権利利益を保障しているものと解することはできず,このことは『平和のうちに生存する権利』についても同様」とし,「平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であり…個々の国民に対して平和的生存権という具体的な権利利益を保障したものではない」とし,人権感覚に乏しい形式的な判断をしました。私たちはこの判示に到底納得できません。2008年の名古屋高裁判決が,「平和的生存権は,全ての基本的人権の基礎にあって,局面に応じて自由権的,社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的権利ということができ,裁判所に対してその保護・救済を求めることができる」と判示するように,平和的生存権は具体的権利性を有し裁判上救済されるべき権利として理論的発展を遂げています。2016年12月,国連総会は「平和への権利宣言」を採択し,平和が単なる理想や状態ではなく,人間の「権利」であることが確認されました。世界に誇るべき平和的生存権が明文で規定されているにもかかわらず,憲法の番人である日本の司法が「権利でない」と判示するのは極めて恥ずべき事です。原告らの人格権の侵害についても,「法律の施行から約5年が経過しても,自衛隊が他国との戦争に巻き込まれるなどし,国民が武力攻撃やテロリズムの対象になったとは認められないし,存立危機事態に至ったと判断されたこともない」「新田原基地が武力攻撃やテロリズムの対象になったこともその危険が客観的に生じたとも認められないし,その周辺の住民である原告らの平穏その具体的な危険が生じたとも認められない。存立危機事態に際して防衛出動が命じられたことはなく,存立危機事態に至ったとしてその対処に関する基本的な方針が定められたこともない」として「原告らの平穏な生活を送る権利利益としての人格権が侵害されたとは言えない。」としました。あたかも「戦争直前になってから裁判をしてください」と言わんばかりの想像力と危機感のない判決です。戦争が開始されてしまってからではもう遅い。まさに戦争の危険が発生する前に人々の人格権と平和の権利は守られていなければならない。これが我国の悲惨な戦争の歴史が教える重要な教訓です。
新安保法制後,米国政府の言いなりの兵器の爆買いや米軍や同盟軍との共同訓練が増し,日本の空も国土も軍事訓練場とされ,住民生活が犠牲になっています。2016年の南スーダンへのPKO派遣での自衛隊員の戦闘巻き込まれの危険,2017年4月下旬の海上自衛隊護衛艦と空母カールビンソンの日米共同訓練に対して北朝鮮から米軍の兵站であり出撃地点となる日本を明確に攻撃対象とするという予告があり,中東には実質有志連合をもしのぐ航空機や上位自衛官が対米協力のために派遣され,さらにはイージスアショア断念に伴い敵基地攻撃論が持ち出され,新田原基地には米軍のための弾薬庫や駐機場等の整備,F35Bの配備が言われ,初めての日米仏軍事共同訓練がえびの霧島演習場で実施され,沖縄・九州が米の対中国軍事戦略の拠点とされようとしています。これらは全て新安保法制によってもたらされた現実です。その大部分は毎回の法廷のプレゼンで写真も含めて示してきました。これらの具体的で緊迫した情勢について宮崎地裁判事らは強いて目と耳を閉ざし,司法の義務を放棄したと言うほかはありません。戦争は段階を踏んで始まるのではなく,軍事的緊張の下,ある日突然始まることは歴史が教えています。
また,看過できないのは,憲法改正決定権について,判決が法令の解釈変更について「ある一定の時点で確立していた解釈であっても,社会情勢等の変化を受けて変容していくこともあり得るところであり,憲法もその例外ではない。」「又,法令等が憲法に適合するかしないかを決定する最終的権限は最高裁判所のみが有しており,国会が立法を行い,内閣が行政を行うに当たって採用され,又は変更された憲法解釈は憲法の意味内容を確定させ,変更する法的効力を有しない。」としたうえで,「『憲法解釈の変更』をされない権利を措定」し,本件訴訟のような国家賠償請求訴訟を許容することは裁判所が抽象的違憲審査権を有しないことと相容れない旨判示するところです。判決は,当時の内閣が行政を行うに当たって変更した「集団的自衛権の行使は合憲」とする憲法解釈が,まさに憲法の意味内容をそのように確定させ,立法によって集団的自衛権の行使に法的根拠を与えたことを故意に無視するものです。あたかも,政府・国会による憲法解釈の変更は,それがいかに憲法の根本原理を逸脱するようなものであっても,その違憲性を司法に問うことはできないかのような判示であり,到底容認することも納得することもできません。
95%を超える憲法学者,歴代の内閣法制局長官,元最高裁長官,元最高裁判事,日弁連はじめ全国の弁護士会が集団的自衛権行使は違憲との見解を示しました。新安保法制は一見して明白に憲法違反であり,「違憲立法審査権は司法の義務であり,権利であるので本件こそ行使すべきである」とも指摘されました。三権分立の下で,司法が立法及び行政の過ちを正さずに追随すれば,憲法の破壊に司法が手を貸すものといわざるを得ません。立憲主義,民主主義の破壊,そして権力の暴走に歯止めがかかりません。判決に示された司法の態度は負の歴史的審判を免れません。私達はこれを絶対に受け入れることはできず,控訴することを表明します。

以 上

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安保法制違憲北海道訴訟高裁判決に対する声明

2021年5月26日

安保法制違憲北海道訴訟原告団
安保法制違憲北海道訴訟弁護団

 本日、札幌高等裁判所第2民事部(長谷川恭弘裁判長)は、安保関連法が憲法に違反し、平和的生存権・人格権が侵害されたとして、国を相手に訴えた国家賠償請求訴訟と自衛隊の行動の差止を求めた差止請求訴訟について、一審判決(札幌地方裁判所2019年4月22日判決)を支持し、控訴棄却の判決を言い渡した。
その理由は、一審判決同様、原告らの主張する「平和的生存権」が具体的な権利性がないこと、及び安保関連法が制定されたことによって原告らには具体的な危険が発生しておらず、国家賠償法上保護された権利ないし法的利益が侵害されたとはいえないことを挙げる。
しかし、一審判決以来、原告が主張し、また本控訴審での証人尋問、原告本人尋問でも明らかになったとおり、安保関連法の制定によって日米同盟が強化され、私たちの国が米国の戦争に参加し巻き込まれる危険性が格段に高くなった。その結果、自衛官やその家族、海外で活動する人々を含むすべての市民一人一人が戦争による被害の危険に現実にさらされることとなった。
実際に、安保関連法制定後に、日米共同行動態勢の進化や共同訓練の強化、米艦防護など、米国と共に戦争を遂行するための準備が進められ、いつ戦争が起きても共同で行動できるような態勢が構築されているのである。
それにもかかわらず、本判決は、これら現実の状況を正しく認識することなく、私たち市民一人ひとりに及んでいる危険は「現実化しているものではない」「不安や恐怖を覚える控訴人らの心情」などと捉えているにすぎず、極めて不当な判決と言わざるを得ない。
そもそも、安保関連法は、憲法に明白に違反しており、そのことが指摘されながら十分な審議がなされないまま制定された法律であるから、違憲の法律であるとともに、政府、国会による制定行為自体が違法と言わざるを得ない。従って、憲法の番人たる裁判所は、敢然と憲法判断をして政府・国会の違法行為を非難すべきであるにもかかわらず、憲法論に踏み込むことなく、この問題に正面から誠実に向き合おうとしなかった。これは、裁判所がその職責を完全に放棄したものである。
私たちは、裁判所が憲法で保障された違憲立法審査権を積極的に行使することなく、国民、市民の平和と安全、基本的人権をないがしろにする判決を下したことに対して、強く強く非難するものである。

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安保法違憲訴訟控訴審判決 裁判所は三権分立の責任を果たせ!

2021年4月16日

大阪安保法違憲訴訟弁護団

1.行政権たる政府と、立法権たる国会が、「一見かつ明白」な違憲法たる安保法を作り、集団的自衛権行使というグローバルな戦争準備行為を強化して暴走するとき、これを阻止できるのは、司法権を行使する裁判所しかない。あの悪名高い統治行為論を認めた砂川最高裁判決(1959年12月16日)ですら、「一見極めて明白に違憲無効」である場合は裁判所が違憲判断ができると述べているにもかかわらず、今回の判決は、またもや、憲法判断を避け、政権に忖度して司法権の義務を行使しなかった。

2.憲法9条は「戦争を放棄する」と明記しているにもかかわらず、戦争のできる法律がなぜ有効なのか。
私たちは平和のうちに生存する権利を有している。即ち、平和的生存権をもっている。平和で平穏な日々の生活を送る権利を人格権としても有している。これらの権利を保障しているのは戦争をしない法制度であり、万が一にも外国から責められた場合に防衛する専守防衛行為のみが合法的行為である。しかるに、安保法成立後急速に戦争のできる国へ高度な兵器による準備行為が積み重ねられ、いまや敵基地攻撃能力まで論議されている。

3.戦争が起こってからでは何も救済されない。政治が暴走している今、裁判所が英知を集めて憲法秩序を守るべきであるにもかかわらず、またもや、責任放棄した。
私達はここに怒りをもって抗議するとともに、平和を守り、私達の生活を守るために戦いを続けることを宣言する。

2021年4月16日 大阪高裁前 撮影:細川義人

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控訴審へのご支援よろしくお願いいたします(山梨)

2021年4月19日

安保法制違憲訴訟やまなし訴訟原告団

 去る3月30日(火)甲府地裁・211号法廷におきまして、安保法制違憲訴訟やまなし(あんぽなし)の判決がありました。弁護団、原告、賛同人、報道関係者30人余りが見守る中、鈴木順子裁判長は主文:
原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。
を読み上げ、直ちに二人の裁判官(萩原弘子、大畠崇史)と共に後ろのドアから退席して行きました。この間ほんの数十秒、わたしたちはあっけにとられ、茫然とするのみでした。
2017年8月29日原告180名で提訴。それから3年半余り、11回の口頭弁論、38名の原告意見陳述、うち6名の原告本人尋問が行われてきました。原告の体験、主張に濃淡はありつつ根底に流れているのは非戦への痛切な思いでした。この原告たちの声を裁判官はいかに聴いてきたのか。
裁判では、平和的生存権、人格権、憲法改正決定権の侵害を訴えてきました。ところが判決文では、平和的生存権に関し、「憲法前文を根拠として個々の国民に対し、平和的生存権という裁判規範となるべき具体的権利ないし法的利益が保証されているものと解することは困難である」(判決文p.21)と述べ、だれのための憲法かを真に理解しているとは到底思えないきわめて冷酷な文章が綴られていました。
そもそも国民の声を十分にくみ取ることなく、強行採決の結果つくられた法律に対し、憲法判断を避け、原告の訴えは具体性に欠く、平和の概念は多様であるなどと巧みに逃げた判決文であり、表面的な取り繕いの空疎な文章と言わざるを得ません。
原告の主張に真摯に取り組んだあとすら見えない判決文にわたしたちは強い失望を感じました。裁判所は一体どこを見てこうした判決を出すのでしょうか。同種の裁判が全国で進行する中、わたしたち「あんぽなし」の裁判は地裁レベルでは10例目の棄却となりました。それらの判決文を読んでも、いずれも似たような判決文で、憲法判断を意図的に避けているのです。
このような司法の在り方に強く抗議するとともに、控訴をして引き続き安保法制の違憲性を主張していきます。
わたしたちは、4月12日(月)東京高裁に向けて怒りの控訴手続きを行い、裁判は新たなステージに入ります。今後は全国の訴訟団とも連帯・協働し闘ってまいります。県民の皆様の引き続きのご支援・ご協力をお願いいたします。

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安保法制違憲道東訴訟釧路地裁判決に対する声明

2021年3月26日

安保法制違憲道東訴訟原告団
安保法制違憲道東訴訟弁護団

 今月16日、釧路地方裁判所民事部(新谷祐子裁判長)は、新安保法制に対する憲法判断を避け、国家賠償請求を棄却する判決を言い渡した。

1、憲法判断回避

新安保法制は集団的自衛権の行使を容認するなど、憲法9条に一見明白に違反する法律である。
しかるに判決は「憲法適合性についての判断は、具体的事件の結論を導き出すに当たって必要な場合に行われるべきである。本件では・・・本件各行為(閣議決定と制定)によって原告らに損害賠償の対象となり得るような権利又は法的利益の侵害があったということはできず、原告らの被告に対する国賠法1条1項に基づく請求権が認められないことに帰する以上、本件各行為の憲法適合性についての判断を行うことが結論を導き出すに当たって必要な場合に当たるとはいえない。」(25ページ下から5行目から)として憲法判断から逃避した。
憲法9条が先の大戦での加害及び被害の歴史に対する深い反省から規定された他の憲法に例を見ない徹底した恒久平和主義に立った規範であり、日本の国柄を形作る根本規範であることに対する思いを感じることのできない極めて問題のある判決である。
人権保障の砦として立憲主義を実現するため、立法・行政の憲法違反の政治を正すという司法の使命、裁判官の憲法尊重擁護義務に背を向けた判決である。
これまで言い渡された7つの地裁判決と1つの高裁判決と同様に本判決も、三権分立の存在を示すべき究極の場面で、憲法判断を避けてしまった。
沈黙して立憲主義違背に背を向けることは、立憲主義違背に加担することに他ならない。裁判所自らが立憲主義違背を行ったと同じことである。
フランス人権宣言にも「権力の分立が定められていないすべての社会は憲法を持たない」と明言している。日本国憲法の根幹にかかわる規範の違反行為について、違憲立法審査権を行使しない本判決に対しては深い失望とともに極めて大きな違和感を覚える。
原告等は違憲の新安保法制の制定・施行を原因に権利・利益を侵害され精神的苦痛を被ったとして本請求を行っているのであり、新安保法制の違憲性とその程度、内容を判断することは、原告らの権利・利益の侵害の有無、程度の判断の前提となるものであり、論理的に憲法判断が先行すべきことでもある。

2、原告らの権利・利益の否定

⑴ 平和的生存権の否定

判決は平和的生存権については「目指すべき理念の一つとして表明しているとはいえるものの・・・一義的に確定することは困難であり、これ(憲法前文の文言)を根拠として個々の国民に具体的な権利又は法的利益として保障されていると解することはできない。」(14ページ下から3行目から)として「権利」はもとより「利益」すら認められないとする。しかし、憲法の根本理念を規定する憲法前文において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とし「権利」として明確に規定されているのである。平和的生存権は国連総会でも採択されるなど国際社会においても広く認められており、本判決は平和的生存権の権利性を認めた長沼ナイキ訴訟札幌地裁判決、自衛隊のイラク派遣に関する名古屋高裁判決・岡山地裁判決の流れから大きく後退するものである。
平和的生存権の法的「利益」性すら認めない本判決には憲法を尊重し擁護しようという姿勢が全く感じられない。
また本判決は、憲法9条については「・・・国家の統治機構ないし統治活動における規範を定めたものであって、個々の国民に何らかの権利を与え義務を負担させることを定めた規定ではない」とする(15ページ9行目から)。しかし、憲法9条は戦争放棄、専守防衛等により平和的生存権にいう「平和」の意味内容を充填するとともに、基本的人権である平和的生存権を保障するための言わば「防火壁」であり、その「防火壁」がまさに破壊されてしまったときに憲法判断をしないという選択肢はない。

⑵ 人格権侵害の否定

本判決は原告らが主張する人格権については、「本件各行為の後5年以上経過した当審の口頭弁論終結時において、本件各行為に起因して我が国が他国による武力攻撃やテロリズムの対象とされた事実は認められず、・・・本件各行為が原告らの生命、身体及び健康に対する現実的かつ具体的な危険性を生じさせるものとは認められない。」(p19下から9行目から)として、「現実的かつ具体的な危険性を前提とせず、個人の有する経験や思想・信条によって大きく左右される個別的、主観的な感情及びこれがもたらす精神的苦痛は、個々人が共通して有する普遍的な人格的価値に対する侵襲とはいえず・・・人格権の範疇として法的保護の対象にされるべきものとはいえない」(p20下から12行目から、p22の下から6行目から)とする。
まず、戦争が始まってからでなければ救済しないという裁判所の態度に失望を禁じ得ない。新安保法制の施行により、日本が、自衛官がアメリカの始める戦争にいずれ巻き込まれるであろうことは、半田滋証人の証言等で明らかにされた。原告らは戦争が起こってからでは遅いから提訴したのである。戦争やテロが起きた時点で違憲判決を行うのであれば、今、行わなければ意味はない。もし、戦争やテロになっても憲法判断をしないというのでは司法の完全なる自殺というほかない。
次に、原告らの精神的苦痛は憲法違反の新安保法制の制定・施行によるものであり、憲法に裏打ちされた思想・信条がもたらすものである。さらに、「普遍的な人格的価値に対する侵襲」の意味が不明であるが、もし、憲法違反の立法により精神的苦痛を感じない人もいる、よって、その苦痛は普遍的ではないので法的保護の対象とすべきではないという理論であれば、司法というものの理解を根本的に誤っていると言わざるを得ない。判決は「原告らが強い不安、怒り、憤り、危機感などを抱いたことは優に認められる」(p20の11行目から)、「生命、身体及び健康を失うことを恐れる不安にとどまらず、・・・立法及び政策判断がされたことに対する強い憤りや精神的苦痛というべきであり、事実として認定できるものであって」(p22の下から6行目)としながらその救済をしないという態度をとっているものであり、司法が政治的な少数者の基本的人権を憲法違反の行為から救済することが使命であることを忘れていると言わざるをえない。

⑶ 憲法改正権・制定権侵害の否定

判決は、憲法改正規定である「憲法96条1項は・・・実際に憲法改正の発議がない状況下で、個々の国民に憲法改正にかかわる具体的な手続を要求する権利が付与されているとはいえないし、・・・憲法改正の発議がなされなかったことが直ちに個々の国民に対する権利又は法的利益の侵害となるものではない。」(p25の2行目から)とする。
しかし、原告らが問題にしているのは、戦争放棄を規定した憲法9条で恒久平和主義、専守防衛の国是という日本の国柄、日本国憲法のアイデンティティーを他国の始める戦争に加担するという根本的な変質をもたらした重大な立憲主義違背行為を問題にしているものであり、かかる重大な違憲立法が憲法改正手続(特に国民投票の機会)を経ずになされたのであるから、憲法改正権・決定権の侵害があったと考えるのが当然である。

⑷ 権利侵害性のまとめ

判決は原告ら全員に権利も法的利益もないとする。人権保障の砦として、憲法尊重擁護義務のある裁判官、裁判所が、原告らに何らかの「法的」利益性を認める姿勢があれば、「国家賠償法上違法となりえるのは憲法上保障され又は保護されている権利利益」と判示した再婚禁止期間に関する平成27年最高裁判決の判例法理を本判決にも適用し、憲法判断に踏み込むことも可能だったものである。
憲法判断回避に終始した本判決に対し、原告団及び弁護団は怒りと失望の気持ちを表明せざるを得ない。
道東訴訟原告団及び弁護団は本判決には全面的に不服であり、3月25日に、札幌高等裁判所に控訴した。
我々は子供たちの未来のためにも、今後も裁判所に対し違憲立法審査権の行使を強く求めていく所存である。

以上の決意を表明する。

以上

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安保法違憲訴訟(沖縄)の福岡高裁那覇支部判決に抗議する声明

2021 年 2 月 18 日

沖縄安保法違憲訴訟弁護団

1 本日、福岡高裁那覇支部において、安保法の違憲性を問う訴訟の控訴審判決が下された。
結論は、1審同様に原告らの請求を退けるものであり、安保法が違憲であるとの原告らの主張を裁判所は認めてなかった。この点については、1審判決同様、安保法のごとく憲法の根幹を揺るがしかねない重大かつ深刻な問題に対して司法権を担う裁判所が真摯に向き合おうとしない姿勢、そして憲法を頂点とする立憲主義が崩壊していくことへの強い危惧という批判がそのまま当てはまる。

2 しかし今回の控訴審判決の不当性は、その点にとどまらない。
控訴審第1回期日において、原告らは、1審で排斥された主張を補強すべく、1審で採用されなかった専門家証人の尋問を改めて申請し、その意見書作成を準備中である旨述べようとした。ところが裁判所は、これを遮るようにしていきなり審理を終結させ、判決言い渡し期日を指定する、という暴挙に出た。
原告らの今後の立証予定を聞き、それを検討するのではなく、これを遮るようにして結審を強行した裁判所の態度は、原告らの訴訟活動を封じることを意図した露骨な訴訟指揮というほかなく、安保法の違憲性を認めないという予断を最初からいだいていたとしか考えられない。
しかも、いまだ沖縄県独自の緊急事態宣言が解除されていない中で、判決言い渡し期日の変更を求めた原告らの申立てをも一顧だにしなかった。これでは、高齢者も多い原告らの裁判を受ける権利(憲法 32 条)は有名無実となってしまう。

3 現在、全国の裁判所で同種訴訟が係属しており、控訴審に移行しているものもある が、全国の高等裁判所の中でも、今回の福岡高裁那覇支部のような不当な訴訟指揮を行った裁判所は存在しない。
札幌地裁は、原告本人尋問も専門家証人の尋問も採用しなかったが、その控訴審である札幌高裁は一転して複数の専門家証人の尋問を採用した。東京地裁は、原告本人尋問のみ採用し専門家証人の尋問を採用しなかったが、その控訴審である東京高裁は、やはり専門家証人の尋問を採用している。
ところが、この沖縄訴訟では、那覇地裁は原告本人尋問のみ採用したにとどまり、しかも今回控訴審の福岡高裁那覇支部は、専門家証人の尋問を一切採用しなかったのである。

4 日本国憲法は、立法や行政からの司法権の独立を明言し、さらに裁判所に違憲審査権を与えることによって(憲法 81 条)、三権分立の原理をより実質化しようとした。
ところが今般の福岡高裁那覇支部の判決とそこに至る訴訟指揮の不当性は、三権分立原理がもはや空洞化しているのではないか、との懸念をいだかせる。
われわれは、今回の判決とそこに至る訴訟指揮の不当性を断じて許すことができな い。立憲主義と平和主義を根幹とする憲法を守りぬく努力をさらに継続する所存である。

以上

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