2021年7月5日
安保法制違憲長崎訴訟弁護団
本日、長崎地方裁判所民事部(天川博義裁判長)は、安保法制が日本国憲法に違反し、原告らの平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権が侵害されたとして、国に対して損害賠償を求めた安保法制違憲国賠請求事件において、原告らの訴えを退ける判決を言い渡した。
裁判所は、「原告らは、本件各行為が違憲であると認識し、そのことにより、それぞれ主張し、供述又は陳述するような思いを抱き、特に、第二次世界大戦や原子爆弾による被害を体験した原告らは、当時の被害体験を想起し多大な精神的苦痛を感じたことが認められる。」と述べ、原告らにおいて多大な精神的苦痛が生じたことを認めた。
ところが、裁判所は、このような原告らの精神的苦痛について、立法行為等が「憲法9条に違反したこと自体による精神的苦痛」等であると整理したうえで、「立法行為等の違法性を認識したこと自体による精神的苦痛は、付随的違憲審査制を採用したことに伴う内在的制約として、国賠法上保護された権利又は法的利益にあたるということはでき」ないとして,司法審査を放棄した。
悲惨な戦争を体験した原告らにおいては、裁判所も認めるように明らかに多大な精神的苦痛が発生している。そして、裁判所は、「具体的権利または法律関係につき紛争が存する場合」であれば、違憲審査権を行使できるとしているところ、原告に多大な精神的苦痛が生じているであれば、本件においては、具体的な権利又は法律関係につき紛争が存する場合に当たることになるはずである。
ゆえに、裁判所は、違憲判断をすることができるし、また、すべきであった。
しかるに、裁判所は「立法行為等の違憲性を認識したこと自体による精神的苦痛は、付随的違憲審査制を採用したことに伴う内在的制約として、国賠法上保護された権利または法的利益に当たるということはでき」ないとして、違憲判断を回避したが、かかる見解に基づき憲法判断を回避することは、裁判所の職責を放棄するものと評価せざるをえない。このように裁判所は空疎な理論を用いて原告らの主張を排斥するものであって極めて不当である。
また、裁判所は戦争被害の危険はいまだ抽象的なものにとどまるといわざるを得ないとして原告らの主張を採用していない。このような裁判所の判断では、実際に戦争が始まり国民が巻き込まれてからでないと司法審査ができないと言っているに等しく、裁判所の職責放棄も甚だしい。
そもそも、安保法制は、一見して明白に憲法に違反しているにもかかわらず、十分な審議もなされないまま、制定されたものである。本訴訟では、憲法を無視して「数」の力で物事を決め暴走する立法、行政に対して、「憲法の番人」「人権保障の最後の砦」である裁判所が憲法に照らしてその行為が合憲なのか違憲なのかを「理」をもって判断するという司法の存在意義と役割が問われていたにもかかわらず、裁判所は憲法判断を回避してその役割を果たさなかった。統治行為論を前提とした昭和34年12月16日付の砂川事件最高裁大法廷判決ですら「一見極めて明白に違憲無効」である場合には司法審査ができる旨を述べているにもかかわらず、裁判所は、司法審査の職責を放棄したのである。このような裁判所の消極的な態度に対して、強く非難するとともに断固として抗議する。
私達はこのような長崎地裁判決に対して心からの強い怒りを表明するとともに、立憲主義及び民主主義を守るために、今後も総力をあげて戦い抜くことを決意するものである。