私たちが安保法制の違憲訴訟を提起する意義について(2)

(1)から続

二 国民の皆様の期待に応える責務

まず何と言っても強調したいことは今回の安保法制の国会における採決の強行には圧倒的多数の国民が心からの怒りの声をあげ、それは北から南まで大きな波となって広がっていることです。

2015年9月19日未明、集団的自衛権行使容認の閣議決定の具体化としての安保法制法案(戦争法案)の採決が参議院で強行された時、法案に反対してきた多くの人々が、「闘いは今から始まる」ということの認識と思いを共通にしました。昨年夏、連日にわたって国会前で、そして日本全国で展開された、集団的自衛権行使容認・安保法制に対する反対闘争は、年令、性別、職業を超えて実に多様な人々によって担われました。

とりわけ、若者たちの活動には目に見張るものがありました。8月30日、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が呼びかけた「8・30国会包囲10万人集会」は、小雨降る中で、国会前には12万人もの人々が集まり、安保法制=戦争法制反対、安倍退陣を求める声を挙げました。全国でも80万人を超える人々が声を一つにしました。

今、政府・与党が、頼みとするところは国民の「忘却」です。政府与党筋からは「そのうち国民は忘れてしまう」というようなたかをくくった声さえ聞こえてきます。「2015年の夏」を「忘却」せずに、闘い続けることができるかどうかにこれからのわが国の将来がかかっていると思います。採決強行後の反対運動は、まず、安保法制の具体的な発動を許さない活動であり、同時に安保法制廃止を求める持続的活動です。

それと共に、安保法制が違憲であることを国民の間でしっかり確認することが求められています。前に述べましたように、反対運動の中で、安保法制案が憲法違反であることはほとんどの憲法学者がこれを指摘しました。日本弁護士連合会も、「集団的自衛権行使容認の閣議決定」と「安保法制の国会成立」が、憲法違反であり、その「強行採決」は立憲主義の完全否定であるとの声明を発表しました。これらの批判は、この安保法制がこの国のありかたを法の支配から時の政権による恣意的支配に変えてしまうものに他ならないことを示したものであります。

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること」(憲法前文)は私たちが言語に絶する犠牲を被った代償として、また加害行為を行った教訓として得たかけがえのない歴史的な経験知であり国民知です。これを捨てることは何を意味するでしょうか。先の大戦時と比べて人間を殺戮する兵器・機器の能力は質的飛躍的に「発達」し、人間の制御力をも超えんとしています。私たちはこの現実を直視し、未来の世代に平和で豊かな世界を引き継ぐ責任を負っています。それは今だからこそ可能だと言えるのではないでしょうか。もう先送りは止めたいと思います。

以上のことを踏まえたとき、私たちは立憲主義を確立し、法の支配を回復するために、安保法制違憲訴訟を提起することが、国民の期待に応える私たち法律家の「責務」であると考えました。安保法制違憲訴訟を提起し、法廷でそのことを明らかにし、立憲主義・法の支配を回復し、同時に、世界、とりわけアジアに向けて、私たちが戦後日本の国是である「徹底した平和主義」を堅持し続けることを発信することが不可欠であると確信するに至りました。

私たちは歴史と知性に背を向けて開き直る安倍政権を絶対許すことはできないと思っています。敗戦から70年、今という時代は、2300万人以上の尊い命を奪った戦争の悲惨さから生まれた日本国憲法の価値を維持・発展させるのか、それともその破壊を許すのかの重大な岐路であると考えています。

(3)へ続く

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