原告の声(その2)

(以下は、原告の一人である石川徳信さん(宗教家)の決起集会での発言内容をまとめたものです。)

私は1936年、2.26事件のときに足立区の花畑のお寺に生まれました。今45代目であります。両親が小さい時に死にまして、以後ずっと引き継いでやっているわけであります。
1941年、昭和16年4月1日に、お寺の門前に町民が集まり、村の若い者を戦争に送り出しました。その光景を今でも忘れることはできません。今日、昭和16年3月26日付の「武運長久祈願」というものを持ってきました。昭和16年というとまだ太平洋戦争がはじまる前でありますが、3月26日から4月7日まで、足立区の121か所の寺院あるいは民家、ここから足立区の若者が中心に一斉に兵隊にとられた、戦場に送られたわけであります。これが全部その日付であります。4月1日が私のお寺になっております。一年足らずで白木の箱で帰ってくると、こういう光景も直接私は見てまいりました。

戦争がはじまりまして、私の家も寺ですが、特に寺院から線香立て、ろうそく立て、花立て、金属類は全部没収されました。私は、「なぜそんなことをするんだ、なぜ使うんだ」と言ったら、「これで鉄砲を作って、鉄砲の球で戦争をして敵を殺すんだ」と、ふざけんなということで私は怒られました。
これは全国で行われた事実であろうと思います。こういうことが公然と行われたわけです。しかも街の空気は統制のもとに、非常に厳しいと言いますか、暗い雰囲気もありました。足立区花畑は、農家が多かったわけですが、大体働き手の中心が戦争にとられてしまいました。
足立でも近くに高射砲の陣地がありまして、昼夜問わず猛烈な爆音が響きました。また200キロ爆弾が100発、すぐそばに落ちて直撃するという事態も経験してまいりました。私は、話したいことはたくさんありますが、そういう事実から見ても、今回のこの法案については絶対許せない、という立場であります。
東京大空襲、3月10日のことも思い出しますが、明け方の朝まで真っ赤に燃えていました。千住あたりの、爆弾が落ちて燃えたところも私も見に行きましたけれども、それは戦争ほど悲惨な、みじめなものはないと、私は実感をしております。

仏教界では、2011年、全日本仏教会が原発に反対する宣言を出しました。これは当時の会長が、戦争の教訓を二度と繰り返さないという決意でこれを発表したと聞いておりますが、私は素晴らしいことだと思っております。
今の情勢の中で、安倍晋三さんが私が日本で一番偉いと開き直って、集団的自衛権や安保法を通す。憲法をよそに独裁政治を行う、こういうことは絶対許せない。
私もその頃、どうしたらいいかと思いまして、近所の人を含め20人くらいに呼びかけまして、連名でビラを作りました。個人名で。そして、この戦争の国作りは反対すると、いうことで2回、6000枚刷りまして、配りました。反響もありました。これはぜひみなさん、本当に自分の周りの人に訴えて、周りの人の名前でビラを出すというのは非常に効果があります。有名人じゃなくていいんです。近所の人が、ああ、あの人がやっているという効果が十分ありますんで、参考までに申し上げたいと思います。

おそらく戦後、国会の中で何百何千という法律が作られたと思うんです。その中で、私は今回の安保法案だけは絶対に許せない、これはこの世から葬るということが私の決意であります。この法案だけは絶対に生かさせない、葬り去る、というふうに思っております。
20世紀は、世界で6600万人以上の人が戦争で殺されたと言われております。その片棒を日本が担ぐことは絶対に許せない、と思っております。
そのために今度の裁判も皆さんの力で世論を喚起していきましょう。当然憲法違反ですから、勝つのが当たり前なんです。負けるほうがおかしいんです。
そういう決意で私は臨みたい、ということを申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。

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